『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.778

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遊興に心をかたふけ、政道の事は餘所になし給ひければ、世の人うとみた, 左馬頭基氏は、新田の殘黨上野に起らんとするきこえありければ、是等を, てまつりけり、又その中に讒者ありて、鎌倉殿のおほせなりとて、近習外樣, は逆心の御くわたてあるべしとさゝやきければ、將軍義詮きこしめして、, 退治せんために鎌倉を出て、其勢三万六千餘騎、武藏國入間川を前にあて、, も、頭を差出す者なし、東國はすでに無爲の化に歸しけれ共、京都は更にし, に沙汰しけるは、基氏常々のたまふは、我は庶子にこそむまれたれ共、武勇, の方へ南方發向の事を申上せけり、義詮のたまひけるは、都近き敵をはら, 陣を取ておはします事數年に及べり、新田方に心ざしある者をば、御自身, 政道はすこしも兄にをとるましきものをと御荒言あり、如何樣にも、内に, をしよせて誅罰し給ふ、此故に東八ケ國には、新田を引人おほしといへど, はんに、左馬頭が力をたのむまでもなしと仰けるを、頼之いさめ申けり、鎌, 我が力量のすこしすぐれたるに慢じてこそ、左馬頭左樣には申候なむと, づかならず、新將軍義詮は、たゞ好色を事とし、大酒をもつはらにして、歌道, のたまひける程に、御兄弟の御中もこゝろよからず、畠山入道は、細川頼之, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 〓アリ, 氏ヲ讒ス, 義詮基氏, 義詮ニ基, ル者アリ, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 七七八

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  • 〓アリ
  • 氏ヲ讒ス
  • 義詮基氏
  • 義詮ニ基
  • ル者アリ

  • 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日

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  • 七七八

注記 (23)

  • 1129,644,66,2209遊興に心をかたふけ、政道の事は餘所になし給ひければ、世の人うとみた
  • 1832,643,63,2209左馬頭基氏は、新田の殘黨上野に起らんとするきこえありければ、是等を
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