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は、丹波路を差して引退る、新田の軍勢是を追て急に攻うつ、時氏返し合て、勇を振, を供奉し奉り比叡山に登る、同月十一日に、時氏等の諸將尊氏公を守護して入洛あり、, て、脇屋右衞門佐義助の軍を討破り山崎に攻入るにより、新田義貞都を引退き、天皇, 存なりと止められけれは、尊氏公此理に伏して自害をとゝまり、松尾葉室の間に至る, ひ戰て、萬死を逃れ、梅津の里におゐて、尊氏公に逢ひ、桂川の邊に至る處に、敵又, 渡に於て合戰あり、時に細川律師禪定・赤松筑前守範資と同しく、時氏一方の將とし, 名を後代に殘を第一とせり、今たま〳〵敗軍に逢て一命を捨られん事は言甲斐なき所, 同しく十六日に、尊氏公と新田義貞と洛中におゐて戰ひあり、尊氏公の軍破れけれ, 處に、仁木・細川等則敗軍の士卒を集て追付て、此所に休息あり、くれにおよひ、細川, 大將たる人は、かくのことくの急難を經て、命をまつとうし、子孫の繁榮を期し、威, 急に追ひ來る、此におゐて、尊氏公既に自害せんと仰けるを、時氏とゝめて曰く、凡, 一延元元年丙子正月、將軍尊氏公大軍を卒ひて京都に發向あり、新田左兵衞督義貞と大, り、, 禪定、義貞の軍を討破り、此由を告るによりて、尊氏公京都に歸らる、同廿七日、新, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, ヲ諫止ス, 尊氏ノ自殺, 叛シテ西上, 尊氏ト共ニ, ス, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三〇〇
頭注
- ヲ諫止ス
- 尊氏ノ自殺
- 叛シテ西上
- 尊氏ト共ニ
- ス
柱
- 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
ノンブル
- 三〇〇
注記 (22)
- 1069,805,65,2175は、丹波路を差して引退る、新田の軍勢是を追て急に攻うつ、時氏返し合て、勇を振
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