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公又利を失ひ、同廿八日、京都を落て、同廿九日に、丹波國篠村に至り、内藤入道道, り、南遠江守宗繼・豐田彌三郎光顯を使として、大宰少貳貞經入道妙惠に味方に參へ, を左將軍とし、時氏を右將軍として、豐嶋河原に於て大に戰ひあり、仁木左京大夫・, 故に尊氏公忽に敗軍し、九州をさして落行かる、同八日、兵庫を發し、宗像か館に入, 宍戸安藝守・岡部三郎左衞門尉・宗像大宮司等、新田義貞の勢に討破られて引退く、, 嵯峨野の邊に向はるゝの故に、京中の合戰にあはす、尊氏公の敗軍を聞て、直に跡を, る、時に尊氏公、舍弟左馬頭直義ならひに時氏と密かに相議して、藥師丸を京都に遣は, 家・楠正成三萬餘騎を卒ひて追討んとす、尊氏公、舍弟直義を先陣とし、高武藏守師直, 慕ひ、尾宅にて追ひつかる、同二月二日に、尊氏公内藤か館を發して、攝州に赴か, して、持明院殿の院宣を乞しめらる、同六日に尊氏公芥川に至る、新田義貞・北畠顯, 勝か曾地の館に入らる、此時に、時氏は三千五百餘騎に將として、廿八日に、仁和寺, き由を仰らる、妙惠則ち嫡子筑後守頼尚に軍勢を差添て、宗像か館に來らしむ、菊, 地肥後守武重是を聞て、菊地九郎武敏, 田義貞・北畠顯家・楠正成・名和長年等、數萬の軍勢を引具して京都を攻む、尊氏, に軍士をそへて是を討しむ、同三月二日, 武重か, 弟也、, 攝津豐島河, 原ニ戰フ, 九州ニ敗走, 尊氏ト共ニ, ス, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三〇一
割注
- 武重か
- 弟也、
頭注
- 攝津豐島河
- 原ニ戰フ
- 九州ニ敗走
- 尊氏ト共ニ
- ス
柱
- 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
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- 三〇一
注記 (24)
- 1727,787,68,2181公又利を失ひ、同廿八日、京都を落て、同廿九日に、丹波國篠村に至り、内藤入道道
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