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る、時氏も京都に引退る、, に、楠正成戰ひ破れて、廣巖寺に入て自害す、一族等多く討死す、新田義貞兄弟、正, をして、直義を救はせらる、仁木頼章・山名時氏衆を勵し、勇を振ひ能く戰ふゆへ, 氏公すなはち時氏并に桃井播磨守直常及ひ大平出雲守に鹽冶を追討すへきの由を仰ら, 一暦應三年庚辰三月に、高武藏守師直、鹽冶判官高貞か叛逆ある旨を尊氏公に訴ふ、尊, 時氏の家臣小林民部丞重長・河村山城守秀政・猪野七郎氏晴を始めとし、郎從十五騎, の御幸をなし、諸將に下知して、拜趨の禮を行はる、同六月二日に、尊氏公の下知と, 所にあり、尊氏公、兩人をして急に彼を追せらる、各宿所に歸らす、直に進發あり、, 成の討死を聞て、湊川に來り、尊氏公兄弟と大に戰ふといへとも、終に敗軍し、京都, に歸り、天皇を供奉し、比叡山に登る、尊氏公兄弟上洛有り、東寺に陣し、持明院殿, 破れて、直義既に戰死に及んとす、尊氏公馬をすゝめて、仁木・細川・山名・一色等, して、時氏比叡山に赴き、西坂に陣せらる、同二十日に、新田義貞山門の寄手を討破, る、同十七日、鹽冶高貞密に京都を逃れ、出雲國におもむく、時に時氏・直常共に御, る、楠河内守正成も一族を卒ひて、湊川に陣す、足利直義軍を進て、楠正成と戰ひ、, 比叡山ノ西, 坂ニ陣ス, 伐ツ, 鹽冶高貞ヲ, テ入洛ス, 正成ヲ破リ, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三〇三
頭注
- 比叡山ノ西
- 坂ニ陣ス
- 伐ツ
- 鹽冶高貞ヲ
- テ入洛ス
- 正成ヲ破リ
柱
- 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
ノンブル
- 三〇三
注記 (22)
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