『大日本史料』 6編 33 応安3年是歳~応安4年3月 p.298

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あり、, 氏公・同左馬頭直義等の母儀なり、しかれは尊氏公の母儀と時氏とは、正しき從父, 時氏は藏人政氏の嫡男にして、嘉元元年癸卯に誕生あり、少名を小太郎と言ふ、母は, 上杉藤原重房の女なり、, 一元弘元年辛未三月に、天皇、, 兄弟たり、尊氏公と時氏の男時義とは、再從兄弟なり、, ふ、東國の諸大將北條か下知を受て上洛す、時氏は鎌倉にありて、將軍守邦親王を守, 一正慶二年癸酉の〓、東國の多勢かさねて上洛あり、北條高時か下知として、足利治部, ともに京都におもむかる、同く三月廿七日に鎌倉を發し、同四月十六日に京都に著陣, 上杉修理亮重房の嫡男同修理亮頼重の女は、足利讚岐守貞氏の妻室にして、將軍尊, 大輔高氏, 護し奉らる、, ●名越尾張守高家を大將として、京都に赴しむ、此時に時氏も高氏と, 北條相模守高時を征伐の御企てありて、鬪亂におよ, 山名家譜〕三一時氏, 始め足利高氏鎌倉を發せらるゝの期に望て、仁木・細川・吉良・今川・山名・, }, 右衞門佐、從五位下、伊豆守、彈, 正少弼、左京太夫、世稱六分一殿、, 則將軍尊, 後醍醐, 村岡, 氏公也、, 天皇、, 但馬, 高氏ニ從ヒ, 隷屬ス, 元弘ノ亂二, 鎌倉將軍二, テ上洛ス, 事蹟, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 一九八

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  • 右衞門佐、從五位下、伊豆守、彈
  • 正少弼、左京太夫、世稱六分一殿、
  • 則將軍尊
  • 後醍醐
  • 村岡
  • 氏公也、
  • 天皇、
  • 但馬

頭注

  • 高氏ニ從ヒ
  • 隷屬ス
  • 元弘ノ亂二
  • 鎌倉將軍二
  • テ上洛ス
  • 事蹟

  • 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日

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  • 一九八

注記 (33)

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