『大日本史料』 6編 33 応安3年是歳~応安4年3月 p.309

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

佐寺におもむく、, む、頼章防き戰ふといへ共利なくして引退く、然る處に、越前の足利尾張守高經六千, を卒ひて、東坂本に陣せらる、義詮は神南の北の峯に陣す、右兵衞佐直冬并に足利尾, を始め、家臣小林民部丞・河村山城守・伊田・波多野・足, 伯耆發、山陰道の勢を催し、七千六百餘騎にて、丹波の守護仁木左京大夫頼章を攻, 餘騎にて登り、越中の桃井播磨守直常八千餘騎にて、北陸道を攻めとり、京都を討ん, て、北朝の年號文和を停めて、南朝の正平十年を用ひらる、同二月四日に、尊氏大軍, 供奉して入洛し、東寺の實相院に居す、此日時氏淀の邊に陣し、則ち諸將と相議し, 七條より九條まて陣を張る、一方は時氏、嫡男師義・二男義理, と相計る、時氏・直冬共に大江山に至る、同廿四日、尊氏公北帝を供奉して、江州武, 張守高經・同左衞門佐氏頼・桃井播磨守直常・嫡男兵庫助直顯等六千七百餘騎にて、, 入洛あり、同十四日に、桃井直常も入洛す、同十六日に、足利高經は右兵衞佐直冬を, 一同四年乙未正月朔日に、北國勢比叡山に登る、同十二日、時氏父子五千六百餘騎にて, 三男氏冬, 〓同三年甲午十二月十三日に、時氏父子五千餘騎を卒して、足利右兵衞佐直冬を伴ひ、, 五男時義, 男氏清, 四, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 修理, 民部, 大夫, 中務, 大輔、, 少輔、, 伊豫, 守、, 仁木頼章ヲ, 攻ム, 再ビ入洛ス, 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日, 三〇九

割注

  • 修理
  • 民部
  • 大夫
  • 中務
  • 大輔、
  • 少輔、
  • 伊豫
  • 守、

頭注

  • 仁木頼章ヲ
  • 攻ム
  • 再ビ入洛ス

  • 南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日

ノンブル

  • 三〇九

注記 (32)

  • 1304,776,55,421佐寺におもむく、
  • 1649,784,60,2177む、頼章防き戰ふといへ共利なくして引退く、然る處に、越前の足利尾張守高經六千
  • 726,780,62,2181を卒ひて、東坂本に陣せらる、義詮は神南の北の峯に陣す、右兵衞佐直冬并に足利尾
  • 373,1473,61,1494を始め、家臣小林民部丞・河村山城守・伊田・波多野・足
  • 1752,783,60,2180伯耆發、山陰道の勢を催し、七千六百餘騎にて、丹波の守護仁木左京大夫頼章を攻
  • 1535,777,60,2185餘騎にて登り、越中の桃井播磨守直常八千餘騎にて、北陸道を攻めとり、京都を討ん
  • 841,780,61,2178て、北朝の年號文和を停めて、南朝の正平十年を用ひらる、同二月四日に、尊氏大軍
  • 956,778,63,2182供奉して入洛し、東寺の實相院に居す、此日時氏淀の邊に陣し、則ち諸將と相議し
  • 491,784,59,1603七條より九條まて陣を張る、一方は時氏、嫡男師義・二男義理
  • 1420,782,60,2181と相計る、時氏・直冬共に大江山に至る、同廿四日、尊氏公北帝を供奉して、江州武
  • 608,777,60,2158張守高經・同左衞門佐氏頼・桃井播磨守直常・嫡男兵庫助直顯等六千七百餘騎にて、
  • 1071,780,62,2178入洛あり、同十四日に、桃井直常も入洛す、同十六日に、足利高經は右兵衞佐直冬を
  • 1187,737,60,2221一同四年乙未正月朔日に、北國勢比叡山に登る、同十二日、時氏父子五千六百餘騎にて
  • 495,2528,54,230三男氏冬
  • 1868,751,60,2180〓同三年甲午十二月十三日に、時氏父子五千餘騎を卒して、足利右兵衞佐直冬を伴ひ、
  • 377,1118,55,228五男時義
  • 377,775,55,173男氏清
  • 494,2918,53,43
  • 268,836,47,829南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
  • 522,2405,43,82修理
  • 405,970,46,86民部
  • 474,2406,43,93大夫
  • 525,2782,40,86中務
  • 475,2783,48,96大輔、
  • 359,971,42,104少輔、
  • 407,1360,42,91伊豫
  • 361,1361,42,52守、
  • 1796,347,43,213仁木頼章ヲ
  • 1752,347,40,77攻ム
  • 1074,341,45,215再ビ入洛ス
  • 268,836,47,829南朝建徳二年北朝應安四年二月二十八日
  • 270,2489,43,125三〇九

類似アイテム