『大日本史料』 6編 25 貞治2年3月~貞治3年7月 p.211

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を以て、將軍家より安堵の御教書を賜るにおゐては、以來將軍家に屬し, を納て、山名を味方に降らしめは、北國の足利桃井を始め、皆軍門に降る, へし、然れは芳野の宮方微々になりて、太平の謀たるへしと、各評議あり, 申へし、叶ふましきにて候はゝ、當家の武運にまかせ申さんと返答あり、, 一色詮光京都にかへり、右のおもむきを相伸るに、義詮公諸將と評議あ, 雲、丹後の守護職となる、, 〓、一色宮内少輔詮光を以て、時氏に事乃子細を説て、將軍家に歸伏せし, めむとす、時氏の曰、某南方乃御味方に參りて、十二年の間、武威を京都な, 日に、將軍義詮公に拜〓し、則但馬、因幡、伯耆、丹波、美作の五ケ國を賜り、出, らひに山陰山陽の兩道に振て、討隨へる國凡五ケ國なり、いま此五ケ國, り、山名味方に降りなは、諸國の宮方望を失ふへし、只其請ふ處に任すへ, しと一决して、時氏父子同四月十八日に、伯耆を發し京都に著き、同廿八, も蜂起せり、今是を討んとせは、京都無勢にして後難はかりかたし、和談, 十一日, 〔南嶺和尚道行〓文〕, 筑前聖福寺住持子越, 寂ス, ○長, 門, 丑, 、丁, 嶺, テ時氏ヲ, 詮光ヲシ, 幕府一色, 誘ハシム, 南朝正平十八年北朝貞治二年九月十一日, 二一一

割注

  • ○長
  • 、丁

頭注

  • テ時氏ヲ
  • 詮光ヲシ
  • 幕府一色
  • 誘ハシム

  • 南朝正平十八年北朝貞治二年九月十一日

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  • 二一一

注記 (28)

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