『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.369

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へし、處詮今夜の中に、ひき退かんにはしかすと詮義して、大内をすかし諫めて、會津, め、長陣せらるへき旨を披露ありけれは、城中にありける會津勢是を聞て、岩角の城敵, て、早速の靜謐をそ賀せられける、, の陣と成、會津の通路忽ちにふさかつて往還絶、我々は此城に有て、みなころしに逢ぬ, 城に移り、夫より二本松へ入て、會津へ退き被申けり、是に依て輝宗・正宗、大内が, 〔山口道齋物語〕, 一、天正十三年八月初に、田村殿と正宗被仰合、大内備前御攻潰し、大内城を退て岩角の, は、其城に入替られ、政宗の親父大膳大夫輝宗も、米澤城にて是を聞、小濱の城に來り, 力責には及難し、處詮會津加勢のものともを、おとして追返さんとはかられけれは、其, へ退き給はゝ松本太郎か跡を領地に賜り、四天王の數に加へらるへしと、かたく約束を, 居城四本松小濱の城へ、御移り被遊ける、又四五丁隔て宮守と云ふ城、輝宗の御居城, 誓て備前守を誘ひ、會津をさして引除けり、政宗の謀略の通り、小濱の城明ケのきけれ, 日みつから岩角の城を乘廻して見分有り、翌日は岩角の城を責落して、政宗の陣城と定, 也、, ○下, 略, ○下, ヲ聞キ小濱, 澤ニテ戰勝, ニ到ル, 伊達輝宗米, ニ入ルトノ, 説, 定綱岩角城, 天正十三年九月二十五日, 三六九

割注

  • ○下

頭注

  • ヲ聞キ小濱
  • 澤ニテ戰勝
  • ニ到ル
  • 伊達輝宗米
  • ニ入ルトノ
  • 定綱岩角城

  • 天正十三年九月二十五日

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  • 三六九

注記 (26)

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