『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.700

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内應し、宗能をもかたらふといへともうけかはす、こゝにをいて宗能を, ることに先鋒たり、十二年正月十七日、掛川にいらせたまふのとき、支族, 日、本領上久野下久野、上末元下末元、別所村松等數箇所のうちにをいて、, 援兵をこひたてまつりしに、渠等かことは汝か成敗にまかすへきよし, も兵を出し、御陣營を挾み討んと謀る、八右衞門同意せし體にもてなし、, 殺し、宗盆を家督に立んとせしに、久野佐渡宗憲、本間十右衞門某志を變, けれは、光家軍を引てさる、宗能、男千菊をよひ一族同心等を携へ、御本陣, に參りて謝し、千菊を人質にたてまつりしかは、御感あり、十二月二十一, 久野淡路宗盆、をよひ一族彈正忠宗政、釆女佑某等逆心を企、今川氏眞に, 宗能にかくと告けれは、則不入斗の御本陣にいたり、具に言上にをよひ, し、ひそかにこれを宗能につく、二十日の夜、氏眞、掛川城より川井與四郎, をたまひ、二十八日仰をうけて掛川に備へ、天王山の砦を守り、御出馬あ, 二千五百貫文の地宛行はるゝのむ〓、宗能をよひ一族同心等に御判物, 某を、宗能か家臣久野八右衞門某かもとに使し、相圖をさため、城中より, 仰ありて、御加勢として榊原小平太康政をむけられしかは、これを本城, 慶長十四年十月八日, 久野宗盆, 等今川氏, ニ通ジ宗, 能ヲ殺サ, ント謀ル, 慶長十四年十月八日, 七〇〇

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  • 久野宗盆
  • 等今川氏
  • ニ通ジ宗
  • 能ヲ殺サ
  • ント謀ル

  • 慶長十四年十月八日

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  • 七〇〇

注記 (23)

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