『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.701

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季を御本陣にいたらしむるのところ、長久手の戰に先鋒に加はり首級, を得たり、十四年十月、御上洛のとき供奉す、十八年關東に入せたまひ、下, 出張し、所々に火を放ち、進て天龍川の邊にいたりしに、洪水にて渡りか, さる、元龜三年十二月、武田信玄掛川邊に押寄陣を張、久野城をとらんと, 二年小牧御陣のとき、海賊の押として久野城を守る、家臣本間忠三郎政, とゝもに、可久輪城をかこみてこれをぬく、二年九月、武田勝頼遠江國に, ふ、九年三月二十三日、高天神落城のとき、宗能か手に首三級を得たり、十, たけれは、しはらくこゝに陣とる、宗能その形勢をみさため、家臣本間周, 今度の忠節を賞せられ、宗盆等三人の釆地をたまふのむね御朱印を下, にいたり注進せしめけれは、兩士を御前にめされ、賞譽ありて御盃を賜, 防某、同左衞門五郎某水練のものなれは、これをえらひ川をわたり、濱松, す、東照宮鎌田まて御馬を出され、大村彌兵衞某、同彌三郎某等を加勢と, して向られ、山梨天王森可睡山等にをいて、しは〳〵武田勢といとみ戰, ひ、久野城堅固に守りしかは御感を蒙る、天正元年三月、石川日向守家成, にこめをき、をのれは二丸を守り、宗盆等返逆の輩を罪す、八月二十八日, 慶長十四年十月八日, セテ宗能, ニ與フ, 采邑ヲ併, 宗盆等ノ, 海賊ノ押, 慶長十四年十月八日, 七〇一

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  • セテ宗能
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  • 采邑ヲ併
  • 宗盆等ノ
  • 海賊ノ押

  • 慶長十四年十月八日

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  • 七〇一

注記 (23)

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