『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.32

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と、後世彼石を鷄石と名付、今に有、, けれは、寄手中には只二本松城は雲上乙築上たる樣このみ見へけるとそ、, 里老傳に、政宗夜明れは早速宮森へ歸るへしと議せられし折から、大原山南方成峯にて, 城之間近く陣を取て攻なは、いかなる珍事や出來ぬらん、はやく陣所を卷ほごし宮森へ, て、あわや城より喰留るは、爰を返して打散し、首尾能は付入にせよと下知して、一番, 佐は知謀勇略の者成は、大竹を拾四五本切寄て其先に松明を結付、毎夜足輕共こ爲持高, 彼峯に大成石あり、其石の精靈二本松を應護して、晨を報して對陣の政宗を引せたりし, 知すれは、箕輪玄蕃允參り見て參らんとて、只一騎黒皮おとしの鎧著て、白河原毛なる, 歸るへしと、夜明れは則惣陣を引拂ひ、宮森へ歸陣せらる、後に能聞は、鹿子田右衞門, 士不思義かな、政宗引取はいか樣な智略にても有らん、誰か見て參れとて、新城彈正下, は鷄鳴きあしたを告けれは、さらは引拂とて宮森へ歸られける、彼鷄は眞の鳥にあらす、, 馬に乘、城を出根崎山と言所へ乘上り、引行敵をはるかに見渡せは、片倉小十郎是を見, く指上け、本丸の櫓にのほりて件の松明をふり廻し、東西南北へ往來す、かやうに見せ, に引返せは、玄蕃允は少も構す、政宗の陣の後を能見濟て、弓打つかへ箭一つ切て放、, 政宗大原山俄に引拂はれしかは、城中諸, 今安西堂と, 言所なり、, 箕輪玄蕃允, 鹿子田右衞, 門佐ノ謀略, ノ行動, 天正十三年十月十五日, 三二, 天正十三年十月十五日

割注

  • 今安西堂と
  • 言所なり、

頭注

  • 箕輪玄蕃允
  • 鹿子田右衞
  • 門佐ノ謀略
  • ノ行動

  • 天正十三年十月十五日

ノンブル

  • 三二
  • 天正十三年十月十五日

注記 (24)

  • 812,611,63,935と、後世彼石を鷄石と名付、今に有、
  • 1307,615,73,1866けれは、寄手中には只二本松城は雲上乙築上たる樣このみ見へけるとそ、
  • 1175,612,80,2245里老傳に、政宗夜明れは早速宮森へ歸るへしと議せられし折から、大原山南方成峯にて
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