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たまわり、建武三年より義昭公迄十五代、當家八代之年數は二百四拾貳年, 烈座の人々泪を流し、誠ニ一色九代の大將軍なりとだ申ける、斯而義清仰, 頭興元、凡五六千之勢を隨へ、下岡の城と責かゝり、廿三日朝四ツ時ゟ、いま, り度存るなりと尋ける、義清申出されけるは、當家既こ運盡滅亡こおよひ、, 銘々城を枕に討死極るといへとも、無念の事こあらすや、先祖高氏將職を, 々も、死をわれと同しくして、いさきよく討死有べしと、仰を聞て諸將を初, らはる足利の殘徒抔と、けがらわしき名を呼るゝ事の無念なり、籠城の人, の義は存不申とかたりける、又高屋遠江守ゟ注進來て申けるは、長岡玄蕃, にて御入有て、義俊の戰死を悔御歎かきりなし、大江、杉山申けるは、御歎き, 〓れ、みきわにも寄付す候所ニ、水鳥山、油池山ニ寄來、いまた戰眞〓中、其後, た勝負はわかり不申と告たりける、かゝる所へ吉原越前守義清、百廿餘騎, 去事なから、義俊の討死は御かくこの御事也、此上の思召如何可有候哉、承, 迄、御一族の烈こ加り、當國の守護と迄なりたもふ、一族とも身命は義昭公, けるは、先日義俊殿いとたこひの盃に、判官殿ゟ傳りつたる鎧兜を、我に送, 奉りしとなり、今日天下を平氏にうはわれて、信長か臣下なるをし、道こあ, ヲ攻ム, 興元下岡, 吉原越前, 守, 天正十年九月八日, 五二二
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- ヲ攻ム
- 興元下岡
- 吉原越前
- 守
柱
- 天正十年九月八日
ノンブル
- 五二二
注記 (21)
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