『大日本史料』 9編 10 永正16年10月-永正17年3月 p.74

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大將の側近き氏も逃うせて久馬のさら山更に甲斐なし, 久馬十郎左衞門も、大將より先に這々逃しかは、, 此大將并久米か身の上をもあさけると、大に腹立して、ありもあらぬ〓とも樣々にい, 先陣浦上村國五百餘人、持楯を被きつれて三石の城の東に押寄、閧を作る、政村の旗本, もつゝきて押寄、先陣崩れは入替りて攻んと、備へを進む、先陣村國、已に城に付て攻, 浦上國時一人にまかせらる、十二月廿一日、浦上因幡守村國を先陣として、赤松上總介, ひて、完栗・秋津を讒言す、是によりて、政村是等の老臣をうとみ、此度の軍奉行を、, 入る、完栗は當夏夜討にせられし後も、なを八塔寺に陣取て在しかとも、さのみ勵み戰, るを見て、村宗みつから兵を下知して、大石をまろはし、水をきりなかし防きけれは、, ふへきとも見へさりし、其根元は、去年小鹽勢敗軍の時、二首の狂歌を言ふらしける、, 此歌ともを、久米近氏聞て思ふやう、是は完栗・清水・秋津等、退口に功ありし故、如, 政村小鹽を軍立し、三石の城へ再ひ攻寄らる、城中には靜りかへつて寄手を待、寄手の, 寄手少したゝよふて見へし所に、城中より浦上七郎兵衞、城戸を發て兵をすゝめ、先陣, 赤松の千年の數を違へしと迯て命をつかれたるかな, 久米近氏, 老臣等ヲ, 戰况, 纏ス, 三石城ノ, 義村老臣, ヲ疎ンズ, 永正十六年十二月三十日, 七四

頭注

  • 久米近氏
  • 老臣等ヲ
  • 戰况
  • 纏ス
  • 三石城ノ
  • 義村老臣
  • ヲ疎ンズ

  • 永正十六年十二月三十日

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  • 七四

注記 (23)

  • 1322,706,67,1357大將の側近き氏も逃うせて久馬のさら山更に甲斐なし
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