『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.398

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百佛山智積院根來寺末寺、, 堂たりといへ共、時かはり星移りて、いつしかあれ果、瓦落ち軒かたふき、わつかに殘, へらる、其詞に云く、盡未來寺家の爲管領相違有へからさる也とかや、かゝる美麗の影, 赤松次郎入道圓心は、代々播州の守護、世々弓馬の家にして、赤松村白旗の城主也、, りて、別法和尚を招請して、寺領として四至堺を定めおかれ、みつから寄附の證判を加, 中にも則祐は白旗の城の次主たり、圓心は世治りて後は佛法に歸して、再ひ彼叢林によ, 圓心禪宗に歸依す、圓心別法に問て云、法に二法なし、別法とは如何、別法和尚答て, の士也、世に是を赤松家の四天王と云き、所謂強將の下に弱兵なしと、況哉其子をや、, 當寺は赤松則祐の建立也、則祐の女覺安比丘尼竝圓心・則祐・別法和尚の像と有り、, 云、松に古今の色なし、赤松とは如何、是より則村・則祐・範資、彌禪法に歸依す、寺, 赤松圓心影堂赤松庄苔繩村, 爰に於て先圓心父子を封して、播磨・美作・但州三箇國の守護職とす、男子四人皆豪傑, る一堂宇の中に、一體の像有、圓心入道の像共云、或則祐律師の影共云、いつれか是い, 本尊釋迦牟尼佛、別法和尚唐土傳來、聖觀音、赤松則祐守佛、, も盆繁昌し、赤松衰るに及て、此寺も亦衰ふ、中葉眞言宗の僧中興して密宗に改む、, つれか非、木像自らしるへし、, 南朝建徳二年北朝應安四年十一月二十九日, ○中, 略, 則祐ノ守佛, 則祐ノ木像, 女子覺安尼, 圓心影堂, 南朝建徳二年北朝應安四年十一月二十九日, 三九八

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  • ○中

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  • 則祐ノ守佛
  • 則祐ノ木像
  • 女子覺安尼
  • 圓心影堂

  • 南朝建徳二年北朝應安四年十一月二十九日

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  • 三九八

注記 (25)

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