『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.392

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六州の大守なりけり、居城は播磨の國赤松庄にあり、その時大伽藍を建立, 將軍の諭しにより、北帝に仕へて義兵を發し、勳功雙ひなく、播備作攝丹因, 見セリ、併セテ參看スベシ, し、法雲昌國てふ四字の勅額を賜り、五山十刹のその一と定りぬ、まことに, 〓〓ことれき寺蹟なれとも、惜ひかな嘉吉辛酉の年の兵火、堂宇門垣みな, 灰燼となりぬ、壹ゝ釋迦如來、觀世音菩薩二〓の尊像、涌金峯に飛去壹まひ, けり、村人いそき迎へ奉りけれと、安置す〓き所もなけれは、赤穗なる華岳, 中熱に侵されいふものあり、わか尊敬すへき靈佛を他郷に移しける故に, し、丈六の彌勒菩薩の像を尊崇し、法雲昌國禪寺と號し、雪村和尚を開山と, 寺へ供奉しあにけ申ける、折ふし村人疫癘にて死するもの少なからず、其, て往古を温ぬるに、法雲禪寺は、建武丁丑の年、圓心公の草創なり、嘗て足利, 百年の御忌御佛事引上して修行し奉る、天保十四年癸卯三月なり、謹しむ, 〔赤松追遠誌〕序赤松圓心公乃靈廟は、金華山法雲禪寺にあり、こをひ五, かく病にかゝり死に歸するなりけりと、こゝに大に驚き華岳寺へ至り、尊, 〔附録, 南朝正平五年北朝觀應元年正月十一日, ノ記, 法雲寺建, 則村五百, 年忌追遠, 兵燹ニ罹, 嘉吉元年, 立, 南朝正平五年北朝觀應元年正月十一日, 三九二

頭注

  • ノ記
  • 法雲寺建
  • 則村五百
  • 年忌追遠
  • 兵燹ニ罹
  • 嘉吉元年

  • 南朝正平五年北朝觀應元年正月十一日

ノンブル

  • 三九二

注記 (25)

  • 1073,664,85,2212六州の大守なりけり、居城は播磨の國赤松庄にあり、その時大伽藍を建立
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