『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.278

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此坂越過て西のふもとに入海有、東西に山さしめくりて、其前に島あり、西ひんかしの, あはひに二のわたり有て、舟とも是を出入なめり、猶おきのかたにあたりて、木しけり, 八月三日, たまてみえたり、其うちに鳥居二立り、みたらし川は路にそひて流てけり、橋なとかけ, たる小島とも、七八はかりならひてみゆ、北のいそきはに人の家ゐありて、爰を國府と, 申也、猶北のみ山にそひて、南向に天神の御社たてり、御前の作道は廿餘町計、はまは, たり、そのにし南にさしむかひて、一重なる松山の侍るを、くはの山とそいふ、ふもと, に松原とをくなみ立て、あたりはかたはまとてしほやく所なり、, 由、雖其聞候、猶々、可被忿渡海之由、今日以早舟申遺候、不可有幾程候歟、, 一渡海事、中務少輔先立赤間關下著候、調舟候之由、音信候也、隨而入道罷著防州候之, 花すゝきまそをの糸をみたすかなしつかかふこのくはの山かせ〓, 〔阿蘓文書〕, 八月三日義範花押, 義範花押, 阿穗大宮司殿應安〓八月十日到來、, キヤ否ヤ明カナラザルモ、便, 阿蘓家文書下, 宜コゝニ收ム、以下同ジ、, 全文ハ七, 二入ルノ條ニ收ム、, ○本書、, ○上下略、, 月二日義範高崎城, 依據スベ, 二, 天神社, 今川頼泰赤, 間關ニ著ス, くはの山, 南朝建徳二年北朝應安四年九月二十四日, 二七八

割注

  • キヤ否ヤ明カナラザルモ、便
  • 阿蘓家文書下
  • 宜コゝニ收ム、以下同ジ、
  • 全文ハ七
  • 二入ルノ條ニ收ム、
  • ○本書、
  • ○上下略、
  • 月二日義範高崎城
  • 依據スベ

頭注

  • 天神社
  • 今川頼泰赤
  • 間關ニ著ス
  • くはの山

  • 南朝建徳二年北朝應安四年九月二十四日

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  • 二七八

注記 (31)

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