『大日本史料』 9編 12 永正17年雑載-大永元年4月 p.216

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

〔備前軍記〕乾赤松政村入道して小鹽退去の事, て、靜謐ならん事を計り、大濱の妙覺寺の日興といふ僧を呼かたらひ頼みけれは、弘岡, 左京は和僧の從弟也、弘岡此度常印の催しに應して、此表へ發向の事を謀ると聞ゆ、和, リニ落サレナハ叶フマシ、諸勢コト〳〵ク東條ノ玉泉寺ニ落著テ、始メテ生タル心ソ出, 來ニケル、, ぬと、三石の城中も城下も、周章する事限りなし、浦上村宗是を聞、何とそ合戰に及すし, 赤松播磨守政村者、, もつていよ〳〵懇望申候間、同四月二日若君樣御供にて、英賀のいま在家遊清院まて御, キヽ、用心シテ寄手ヲソ相待ケリ、同七月廿日、常印入道面色草葉ノコトクナリ、敵計, 浦上ト雌雄ヲ決スヘシトテ、一族引レ、播磨御著マテ出陣セラレケル、浦上村宗此ヨシ, 僧榛石へ行て、密に左京をかたらひ、味方に引入る事ならは、恩賞は望に任すへし、尤, 出、それよりかたしまの長福寺へうつし申候、, 1明れは大永元年、赤松幼主才松丸・後室等三石の城にて越年して居られけるか、, 常印去冬小鹽の舘を出て、兵を催し、又三石へ寄らると風聞有しかは、再ひ合戰出來り, 〔赤松諸家大系圖〕, 大永元年、常印ハ三石ニ押寄テ、, 下略, ○上, ○播磨, ○上, 略, 略, ○中, 三, 〔性、下同ジ〕, 村宗僧日興, ヲシテ左京, ヲ誘ハシム, 大永元年二月十一日, 二一六

割注

  • 下略
  • ○上
  • ○播磨
  • ○中
  • 〔性、下同ジ〕

頭注

  • 村宗僧日興
  • ヲシテ左京
  • ヲ誘ハシム

  • 大永元年二月十一日

ノンブル

  • 二一六

注記 (30)

  • 973,597,80,1305〔備前軍記〕乾赤松政村入道して小鹽退去の事
  • 513,615,66,2242て、靜謐ならん事を計り、大濱の妙覺寺の日興といふ僧を呼かたらひ頼みけれは、弘岡
  • 398,616,64,2240左京は和僧の從弟也、弘岡此度常印の催しに應して、此表へ發向の事を謀ると聞ゆ、和
  • 1210,615,68,2242リニ落サレナハ叶フマシ、諸勢コト〳〵ク東條ノ玉泉寺ニ落著テ、始メテ生タル心ソ出
  • 1105,615,56,247來ニケル、
  • 627,621,63,2233ぬと、三石の城中も城下も、周章する事限りなし、浦上村宗是を聞、何とそ合戰に及すし
  • 1558,1415,62,484赤松播磨守政村者、
  • 1789,615,65,2245もつていよ〳〵懇望申候間、同四月二日若君樣御供にて、英賀のいま在家遊清院まて御
  • 1325,617,66,2243キヽ、用心シテ寄手ヲソ相待ケリ、同七月廿日、常印入道面色草葉ノコトクナリ、敵計
  • 1440,608,68,2246浦上ト雌雄ヲ決スヘシトテ、一族引レ、播磨御著マテ出陣セラレケル、浦上村宗此ヨシ
  • 283,613,63,2240僧榛石へ行て、密に左京をかたらひ、味方に引入る事ならは、恩賞は望に任すへし、尤
  • 1680,616,59,1173出、それよりかたしまの長福寺へうつし申候、
  • 861,674,64,21541明れは大永元年、赤松幼主才松丸・後室等三石の城にて越年して居られけるか、
  • 744,614,64,2238常印去冬小鹽の舘を出て、兵を催し、又三石へ寄らると風聞有しかは、再ひ合戰出來り
  • 1555,594,78,569〔赤松諸家大系圖〕
  • 1558,2029,58,825大永元年、常印ハ三石ニ押寄テ、
  • 1663,1809,41,80下略
  • 906,613,36,80○上
  • 1549,1223,44,130○播磨
  • 1711,1806,38,83○上
  • 853,611,43,38
  • 1544,1921,39,43
  • 1591,1924,40,80○中
  • 1595,1227,42,38
  • 808,607,33,174〔性、下同ジ〕
  • 525,235,43,222村宗僧日興
  • 481,239,42,218ヲシテ左京
  • 437,241,43,211ヲ誘ハシム
  • 1916,720,45,389大永元年二月十一日
  • 1906,2379,46,121二一六

類似アイテム