『大日本史料』 6編 4 建武4年正月~暦応元年閏7月 p.701

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

〔參考〕, と見へ、同七年閏二月廿一日五條頼元の状中には、中院僧都御房と見へた, れは、此卿當時はすてに中納言を解官して、無程出家入道したまひしと見, 平と見へたり、其上此義定卿は、正平三年二月六日の綸旨に、中院前中納言, されども、太平記には、定平卿の名所々に見へたれども、一ツも良定といひ, 此卿、, 見へたる中院左中將定平を、陸奧守定成の子として、初名良定と見へたり、, たることなく、後には大納言になり給ひしセ見へて、新葉集には大納言定, 奧州將軍令退治凶徒等、既令進發之由、自方々申送候、仍大〓注文、爲存知遣, 、臣南朝、惠良惟澄ニ顯家ノ西上ヲ告グ、, 中院系圖に、太平記に, 之候、委細依事繁、仰含貞有之状如件、, 惠良小二郎舘, 〔阿蘇文書〕, 〔征西將軍宮譜〕二, 二月, 二月三日(花押, 二月三日, 中院中納言義定, (花押), 三日, ○上文ニ前掲ノ阿, 蘇文書ヲ載セタリ, 丁卯朔, 小盡, 義定, ○中院, 己, 中院義定, ニツキテ, ノ考, 南朝延元三年北朝暦應元年二月三日, 七〇一

割注

  • ○上文ニ前掲ノ阿
  • 蘇文書ヲ載セタリ
  • 丁卯朔
  • 小盡
  • 義定
  • ○中院

頭注

  • 中院義定
  • ニツキテ
  • ノ考

  • 南朝延元三年北朝暦應元年二月三日

ノンブル

  • 七〇一

注記 (33)

  • 1046,810,74,201〔參考〕
  • 333,640,75,2195と見へ、同七年閏二月廿一日五條頼元の状中には、中院僧都御房と見へた
  • 216,634,76,2211れは、此卿當時はすてに中納言を解官して、無程出家入道したまひしと見
  • 451,628,75,2213平と見へたり、其上此義定卿は、正平三年二月六日の綸旨に、中院前中納言
  • 687,635,72,2202されども、太平記には、定平卿の名所々に見へたれども、一ツも良定といひ
  • 922,1847,64,144此卿、
  • 802,628,72,2227見へたる中院左中將定平を、陸奧守定成の子として、初名良定と見へたり、
  • 565,631,75,2210たることなく、後には大納言になり給ひしセ見へて、新葉集には大納言定
  • 1507,625,74,2224奧州將軍令退治凶徒等、既令進發之由、自方々申送候、仍大〓注文、爲存知遣
  • 1741,696,88,1232、臣南朝、惠良惟澄ニ顯家ノ西上ヲ告グ、
  • 921,2210,56,627中院系圖に、太平記に
  • 1401,632,63,1074之候、委細依事繁、仰含貞有之状如件、
  • 1170,987,57,414惠良小二郎舘
  • 1615,591,110,419〔阿蘇文書〕
  • 909,585,112,583〔征西將軍宮譜〕二
  • 1872,783,68,139二月
  • 1280,992,63,1279二月三日(花押
  • 1290,993,53,263二月三日
  • 1335,1997,45,298中院中納言義定
  • 1279,2126,54,153(花押)
  • 1755,550,65,142三日
  • 960,1284,44,541○上文ニ前掲ノ阿
  • 916,1282,43,547蘇文書ヲ載セタリ
  • 1859,937,45,181丁卯朔
  • 1906,938,42,182小盡
  • 908,2000,44,118義定
  • 953,2004,41,186○中院
  • 1787,711,46,51
  • 868,259,44,173中院義定
  • 828,273,32,155ニツキテ
  • 780,269,42,78ノ考
  • 128,697,49,728南朝延元三年北朝暦應元年二月三日
  • 117,2425,41,110七〇一

類似アイテム