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考に, あらされは、合ひかたかるへしかし、, 搆へ給ひしなれはなるへし、御陵周圍は小川の流れありて、おのつから堺, の舊名陵町人家の東、竹林の内にあり、後山階陵より巽の方三町許に當れ, をなしたり、これ李部王記、其他の書に見えたる御場所にて、先輩の異論も, 當りかたきこと灼し、この所より東方、山かたつける古の鳥部野わたりに, といへり、しかれとも、光孝天皇の御母藤原澤子の, なく、まさしき御陵にそ有ける、さて又御火葬所の地は、醍醐雜事記に引け, り、是御骨を納奉りし御陵なり、平地にして丘陵の形なきは、もと法華堂を, 陵、又類聚大補任に、有鳥部野なと見えたれと、今たしかに知りかたし、山陵, る帝王系圖には、來定寺北野、又編年集成に、或記を引て、法性寺東中尾南原, 中尾山陵も、今は御決定のことにしあれは、それより南の地理をよく尋ね, 奉りては、世にあらはれん期もあるへくそ、考へられけるにこそ、, 〔諸陵要記〕十朱雀院天皇醍醐陵按、今山城國宇治郡醍醐村大字醍醐, 〔陵墓一覽〕朱雀院天皇陵京都府山城國宇治郡醍醐村、, ○中略、前掲ノ本書, 引用ノ或説ニ同ジ, 御陵ハ後, 町許ニ在, 山階陵ヨ, リ巽方三, 天暦六年八月二十日, 八四二
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- ○中略、前掲ノ本書
- 引用ノ或説ニ同ジ
頭注
- 御陵ハ後
- 町許ニ在
- 山階陵ヨ
- リ巽方三
柱
- 天暦六年八月二十日
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- 八四二
注記 (23)
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