『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.116

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しやうといへり、中院義定卿の状にも、小河の正印の城の事を、おかはの正, やふは、庄にはあらす城なり、昔は其比まては、城をしろといひたる事なく、, 田徳用名給いよ〳〵ほうこうのちうきんをいたさんと思候しさいの事, そんし候へ、まいり候て申入たく候ところに、御かたきちんをはつてあひ, 徳用名とを件の入道か給地に付しと見えて、惟定か歎訴状に、早郡浦案を, ほゆる事あり、同寺文書に、ひやうとうの山の、まいりて候事こそめてたく, るは、件の惟澄か状なる、郡浦合戰の比の事なるへし、あふたのしやふのし, 印のしやう、向城の事を、むかいしやうのさたまてにおよひし事云々、なと, 此状年紀宛所を闕たれは、たしかには定, 書れしにてしるへし, かたけれとも、大かたは延元三年のものにて、宮中將への返書なるへくお, と見えたり、一本の惟定か訴状に、上略、殊にあふたのしやふにして、度々の, さゝへ候あいた、ひまなくしてまいらす候、ふきやうの事こそくはしくう, いた、御かたきふまへ候、よてともち名を、申あつかるにおよはすと見えた, かせんに忠をいたし、若黨五らう三郎討死仕といへとも、郡浦のあ, ○本書コノ上ニ、廣福寺文書ヲ載, セタリ、前ニ掲ゲタルヲ以テ略ス, 讀ミ方, ニツキテ, 城ノ字ノ, 武重ノ状, ノ考, 南朝延元三年北朝暦應元年十月是月, 一一六

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  • ○本書コノ上ニ、廣福寺文書ヲ載
  • セタリ、前ニ掲ゲタルヲ以テ略ス

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  • 城ノ字ノ
  • 武重ノ状
  • ノ考

  • 南朝延元三年北朝暦應元年十月是月

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  • 一一六

注記 (24)

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