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は、宇土郡伊津野村の地頭なるへし、後に伊津野村を阿蘇丞丸に讓りし義, らす、また闕所地指合の注文に、當庄輩自最初於國致軍忠、無左右不可及沙, 汰之由、自宮御所被仰下候也、とあれは、宮の薩摩に打入らせ給ひしよし、當, す、其時に此卿に屬して軍したる阿蘇品惟定も其中なりしにやさたかな, か事、また六ケ庄小山村の事は前にみえたり、伊津野左衞門次郎入道唯阿, 瓊々杵尊の初て天降りませし日向高千穗の峰は、此境内にありて、いまも, 貞き、件の唯阿か後れるへけれとも、豐後國柏原村圖田帳に見えす、尋ぬへ, し、日向國高知尾庄は、臼杵郡の地にて、肥後の阿蘇郡にさあひたる處なり、, 所のものとも御かたに參て軍忠をいたせし故、それ等に宛給ひたれは、當, に從て八幡に在し比、件の庄を四人にて支配せらるゝよしの綸旨を、隆資, 時闕所の地にあらさるよし、宮よりも被仰下しと也、菊池武久養父の武宗, 卿をもて下されしなるへし、惟貞か外の三人は誰なりしにや考ふへから, 其あたりをたかちほの郷といへり、和名抄當國の郷名に高千穗は見えす, 宛給四人とあるも同時の事にて、惟孝以下の四人のものとも、四條隆資卿, して、たゝ知保といふ所みえたるも同所なるへし、白石左衞門次郎入道道, 衞門次郎, 入道唯阿, 伊津野左, 日向國高, 知尾莊, 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日, 八九〇
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- 衞門次郎
- 入道唯阿
- 伊津野左
- 日向國高
- 知尾莊
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- 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日
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- 八九〇
注記 (22)
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