『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.728

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

し、吉良畠山御兩所へ可罷出シ、一方かち給候はゝ、こゝろへヲもつて何も, 給へ、我ら〓りをもちて役所をこらへ、くそくのうへはかりつくへし、其時, かまニてぬきとをしを引給へ、やすく面ふれへしとをしへけれは、てんき, いて典厩ニいはく、明日調議ヲさせたたへ、今夜たか〓のぬきとをしを、地, 意をとけへしと申、さらはとて御調義有て、その〓く破給ふ間、三間は海也、, う吉良殿ニ參て、明日彼城責られへし、それかしさきかけを仕、産すく御本, 身ヲもつへしと思案ヲめくらし、しゆさんは畠山かたへいて、なかたの城, しとて、二人奉公ニいつ、但一所ニ罷出候ては、自然軍無曲してはかなふま, るへしといふ、しゆさんさらはそれかししちニ取候具足、同馬一疋借進へ, しといはくしゆさん如何とたつ手候ニ、馬具足ヲはしもち候はゝやすろ, とこ五寸おきて鋸ヲもつて十本はかりひききるへし、御身かたを持つめ, ニこもる、てんきうはこまさきへいて吉良殿ニ奉公す、しゆさんひそかニ, 給る、其後いせいいやましニて、富澤三迫高倉庄七十三郷、西岩井のこほ, 落所なくして舟ニてかいとうへおち給ひて、其儘二本松殿ニ成給ふ、其時, の忠節ニより方ニは二迫三國郷を被下、富澤ニは三迫とみさはの〓, 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日, (郷, しゆさん, 富澤右馬, 助ニ謀ヲ, 松へ退ク, 畠山二本, 授ク, 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日, 七二八

割注

  • (郷

頭注

  • しゆさん
  • 富澤右馬
  • 助ニ謀ヲ
  • 松へ退ク
  • 畠山二本
  • 授ク

  • 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日

ノンブル

  • 七二八

注記 (25)

  • 1505,663,66,2216し、吉良畠山御兩所へ可罷出シ、一方かち給候はゝ、こゝろへヲもつて何も
  • 920,662,68,2226給へ、我ら〓りをもちて役所をこらへ、くそくのうへはかりつくへし、其時
  • 806,672,63,2214かまニてぬきとをしを引給へ、やすく面ふれへしとをしへけれは、てんき
  • 1152,676,70,2208いて典厩ニいはく、明日調議ヲさせたたへ、今夜たか〓のぬきとをしを、地
  • 570,662,67,2236意をとけへしと申、さらはとて御調義有て、その〓く破給ふ間、三間は海也、
  • 686,663,68,2228う吉良殿ニ參て、明日彼城責られへし、それかしさきかけを仕、産すく御本
  • 1388,660,65,2223身ヲもつへしと思案ヲめくらし、しゆさんは畠山かたへいて、なかたの城
  • 1623,663,63,2218しとて、二人奉公ニいつ、但一所ニ罷出候ては、自然軍無曲してはかなふま
  • 1742,663,63,2205るへしといふ、しゆさんさらはそれかししちニ取候具足、同馬一疋借進へ
  • 1858,667,61,2196しといはくしゆさん如何とたつ手候ニ、馬具足ヲはしもち候はゝやすろ
  • 1038,669,65,2208とこ五寸おきて鋸ヲもつて十本はかりひききるへし、御身かたを持つめ
  • 1275,676,61,2197ニこもる、てんきうはこまさきへいて吉良殿ニ奉公す、しゆさんひそかニ
  • 218,672,70,2218給る、其後いせいいやましニて、富澤三迫高倉庄七十三郷、西岩井のこほ
  • 453,665,68,2230落所なくして舟ニてかいとうへおち給ひて、其儘二本松殿ニ成給ふ、其時
  • 338,688,80,2180の忠節ニより方ニは二迫三國郷を被下、富澤ニは三迫とみさはの〓
  • 1970,732,46,770南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日
  • 405,2831,48,63(郷
  • 1312,298,38,166しゆさん
  • 1267,297,41,170富澤右馬
  • 1224,297,40,163助ニ謀ヲ
  • 432,303,40,164松へ退ク
  • 477,301,41,171畠山二本
  • 1178,297,40,78授ク
  • 1970,732,46,770南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日
  • 1979,2464,46,121七二八

類似アイテム