『大日本史料』 6編 18 文和2年4月~文和3年3月 p.227

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見ユ、, 十七日、任南朝、還幸ノ儀ヲ徳大寺公清ニ諮詢ス、, 儀候乎、, 抑治承遷都記進之候、不委候歟、隆房之外次將行粧定尋常候歟、他人記所, 見や候らん、誠白丁は何と候へきやらんと存候へとも、如僮僕も戎衣之, ても候へきやらん、白單六七八月之間も所見等候、單文ノ白生單尋常, 御瘧事返々驚存候、昨日如何御坐候つらん、炎〓之〓中返々御心苦察申, 信其儀沙汰之外にて、只卷纓帶劒はかりにても候へきやらん、但又一身, ニ行幸アラセラレ、在京ノ公卿ヲ召シ給フコト、八月二十五日ノ條ニ, 候、但けには安平事候歟、宇治法印毎度高名候歟、早々可被召候乎、, 示了、, ん、又年少之間も、夏白單を布衣ニは多著候、其躰物如何候へき、平絹に, 七月十九日、天晴、今朝徳大寺前内府送消息、條々尋問之旨, 八月はかりには蘇芳綾單なとを如狩衣ニは著用候所見等候、是躰之, 園太暦, 物は衣冠下ニは不可相應候乎、是は只綾かいそめて張たる物候やら, 南朝正平八年北朝文和二年七月十七日, 二十, 狩衣ニハ衣單用金色仍不也比興候歟、, 是又不可有相違歟之旨記了、, 但衣冠下具ヽ束帶本儀候歟、但或又用狩衣下具人々も候へき、其分にては何色も不可有子細候也、, 洞院公賢, 清諸事ヲ, 徳大寺公, ニ問フ, 南朝正平八年北朝文和二年七月十七日, 二二七

割注

  • 二十
  • 狩衣ニハ衣單用金色仍不也比興候歟、
  • 是又不可有相違歟之旨記了、
  • 但衣冠下具ヽ束帶本儀候歟、但或又用狩衣下具人々も候へき、其分にては何色も不可有子細候也、

頭注

  • 洞院公賢
  • 清諸事ヲ
  • 徳大寺公
  • ニ問フ

  • 南朝正平八年北朝文和二年七月十七日

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  • 二二七

注記 (27)

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