『大日本史料』 6編 27 貞治4年8月~貞治6年4月 p.521

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を鶴山といふ、峨山の墓は寺中永壽院にあり、, 開山墓所なり、二世峨山和尚の御母墓所、其外武衞家の墓など有、又左の山, 右の山を龜山とて龜形の山にて, ○總持寺文書(武藏), 〔能登國名跡志〕, 貞治三年十二月十三日遺状, 總持寺又, 南朝正平二十一年北朝貞治五年十月二十日, 道下, 乾, ○中, 略, 墓, 詔碩母ノ, 韶碩ノ墓, 五二一

割注

  • 道下
  • ○中

頭注

  • 詔碩母ノ
  • 韶碩ノ墓

図版

  • 五二一

注記 (16)

  • 172,673,64,1338を鶴山といふ、峨山の墓は寺中永壽院にあり、
  • 286,673,70,2170開山墓所なり、二世峨山和尚の御母墓所、其外武衞家の墓など有、又左の山
  • 410,1866,61,975右の山を龜山とて龜形の山にて
  • 1215,2011,57,427○總持寺文書(武藏)
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