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におきたる者なるへし、, たるなり、御所今度當國へ御成云々とは、宮も若宮も、近年は兩筑の間に御はしませし, 〔深堀記録證文〕, か、了俊か筑前に打入たる比より、重て菊池に御遷座ありて、九國恢復の事を、菊池・, きと也、田口は下に見えたる田口の彌九郎入道なり、, 其事を惟武に談合したりしか、惟武も無異儀同心したる故、子細候はしと存候とはいひ, 阿蘇へ御憑ありしことをいふなるへし、天下むきの事はさしおきぬ云々とは、天下の成, 行はいかならんとも、あらましには定めかたけれは、その事はまつさしおきて、私の事, は、惟武か家人のやうにもおほゆれとも、田口は當時菊池か所領にて、其處の代官なと, 爲陣取、先立催促候之處、于今遲々之條、如何樣事候哉、所詮、來廿八日以前相催一族, したる故、それも本根かたからされは、とても枝葉に手をのはすことかたかるへしとて、, 彌九郎入道そこ知行して、名字をもやかて田口と稱せしなり、此入道甲佐郷に住居たれ, 田口は甲佐郷の地なり、, 北黨今川頼泰、肥前深堀時勝二出兵ヲ促ス、, □□せされは、何こともなりかたきこと故、連々親しく申通して、同心に事をはかるへ, 二十日、, ノ條參看、, ○肥前, ○四月四日, 辰、, 壬, 略, ○下, 八, 〔結構カ〕, 南朝文中二年北朝應安六年二月二十日, 一一
割注
- ノ條參看、
- ○肥前
- ○四月四日
- 辰、
- 壬
- 略
- ○下
- 八
- 〔結構カ〕
柱
- 南朝文中二年北朝應安六年二月二十日
ノンブル
- 一一
注記 (27)
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