『大日本史料』 6編 37 応安6年2月~応安6年6月 p.11

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

におきたる者なるへし、, たるなり、御所今度當國へ御成云々とは、宮も若宮も、近年は兩筑の間に御はしませし, 〔深堀記録證文〕, か、了俊か筑前に打入たる比より、重て菊池に御遷座ありて、九國恢復の事を、菊池・, きと也、田口は下に見えたる田口の彌九郎入道なり、, 其事を惟武に談合したりしか、惟武も無異儀同心したる故、子細候はしと存候とはいひ, 阿蘇へ御憑ありしことをいふなるへし、天下むきの事はさしおきぬ云々とは、天下の成, 行はいかならんとも、あらましには定めかたけれは、その事はまつさしおきて、私の事, は、惟武か家人のやうにもおほゆれとも、田口は當時菊池か所領にて、其處の代官なと, 爲陣取、先立催促候之處、于今遲々之條、如何樣事候哉、所詮、來廿八日以前相催一族, したる故、それも本根かたからされは、とても枝葉に手をのはすことかたかるへしとて、, 彌九郎入道そこ知行して、名字をもやかて田口と稱せしなり、此入道甲佐郷に住居たれ, 田口は甲佐郷の地なり、, 北黨今川頼泰、肥前深堀時勝二出兵ヲ促ス、, □□せされは、何こともなりかたきこと故、連々親しく申通して、同心に事をはかるへ, 二十日、, ノ條參看、, ○肥前, ○四月四日, 辰、, 壬, 略, ○下, 八, 〔結構カ〕, 南朝文中二年北朝應安六年二月二十日, 一一

割注

  • ノ條參看、
  • ○肥前
  • ○四月四日
  • 辰、
  • ○下
  • 〔結構カ〕

  • 南朝文中二年北朝應安六年二月二十日

ノンブル

  • 一一

注記 (27)

  • 622,657,55,590におきたる者なるへし、
  • 1607,654,57,2223たるなり、御所今度當國へ御成云々とは、宮も若宮も、近年は兩筑の間に御はしませし
  • 358,632,73,518〔深堀記録證文〕
  • 1484,660,59,2204か、了俊か筑前に打入たる比より、重て菊池に御遷座ありて、九國恢復の事を、菊池・
  • 994,653,57,1338きと也、田口は下に見えたる田口の彌九郎入道なり、
  • 1729,649,59,2229其事を惟武に談合したりしか、惟武も無異儀同心したる故、子細候はしと存候とはいひ
  • 1363,653,57,2229阿蘇へ御憑ありしことをいふなるへし、天下むきの事はさしおきぬ云々とは、天下の成
  • 1241,646,56,2238行はいかならんとも、あらましには定めかたけれは、その事はまつさしおきて、私の事
  • 746,663,59,2217は、惟武か家人のやうにもおほゆれとも、田口は當時菊池か所領にて、其處の代官なと
  • 241,649,58,2232爲陣取、先立催促候之處、于今遲々之條、如何樣事候哉、所詮、來廿八日以前相催一族
  • 1856,655,60,2248したる故、それも本根かたからされは、とても枝葉に手をのはすことかたかるへしとて、
  • 867,649,60,2230彌九郎入道そこ知行して、名字をもやかて田口と稱せしなり、此入道甲佐郷に住居たれ
  • 997,2261,55,587田口は甲佐郷の地なり、
  • 487,977,76,1451北黨今川頼泰、肥前深堀時勝二出兵ヲ促ス、
  • 1117,658,58,2211□□せされは、何こともなりかたきこと故、連々親しく申通して、同心に事をはかるへ
  • 489,598,72,234二十日、
  • 980,2035,42,172ノ條參看、
  • 354,1194,39,124○肥前
  • 1024,2030,41,206○四月四日
  • 485,893,41,53辰、
  • 526,896,39,35
  • 607,1282,43,37
  • 652,1284,45,76○下
  • 399,1197,36,31
  • 1173,649,29,129〔結構カ〕
  • 132,763,44,765南朝文中二年北朝應安六年二月二十日
  • 133,2601,45,50一一

類似アイテム