『大日本史料』 7編 2 応永2年4月~同4年12月 p.290

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々于今いたるまて、奉公さうそくせしめ、當知行候了、, 此ちうもんこまかせて、さうそくせしむへき状如件、, て、守護の下知れきせん也、仍亡父氏能さうそく候、いまに當知行、, 事、もんそれきせんと云、代々當知行と云、かたくりやうしやうせしむへし, こあつけおき候間、先存知のふんをしるし候也、此外なをもあつけところ, あるへく候、能々たつね候てとるへき也、次京屋地ふん、この二郎の屋地の, 也、彼重書等、今度上洛のあとこ、安岐の大方殿へ、津崎たん正僧方より、所々, 右すてにせんちやうにうち出るこよて、自然のためこしるしおくところ, 一豐後國苻立市佛陀か居屋敷一所、是は辻間方丈南淇和尚さうそくこよ, 應永貳年六月一日親貞(花押), 讓與西福寺坊主職事, 右件寺者、光珍重代相傳在所也、然於光珍一期後者、所讓與光勇維那實也、相, 西福寺文書, 田原鶴松丸所, 應永貳年六月一日, 西福寺讓状」, (端裏書), ○紀, リテ處分, ヅルニ依, 讓與, 田原親貞, 戰場ニ出, 状ヲ竹ル, 公ニ依リ, 坊主職ノ, テ拜領ス, 應永二年雜載, 二九〇

割注

  • 西福寺讓状」
  • (端裏書)
  • ○紀

頭注

  • リテ處分
  • ヅルニ依
  • 讓與
  • 田原親貞
  • 戰場ニ出
  • 状ヲ竹ル
  • 公ニ依リ
  • 坊主職ノ
  • テ拜領ス

  • 應永二年雜載

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  • 二九〇

注記 (29)

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