『大日本史料』 7編 6 応永10年正月~同11年12月 p.103

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倉ニテ誅ス、, 新田一族の末相模守義則は、わすかに影を隱し、底倉の庄に居住して、時節, のを頼てかくれたまひしを、如何としてか聞出しけるにや、竹の下住人, 藤曲と云者しのひ來り、應永十年四月廿五日、新田相模守入道行啓底倉, を待ける處に、古我彦六入道聞つけて、手勢廿餘人を率して、夜中に押し寄, 〔參考〕, 山中にて討死也、子息刑部少輔は一所に御さりしゆへ、相州はかり御討, ○相模守某、上野、武藏ニ兵ヲ徴スルコト、至徳二年三月是月ノ條ニ、又, 陸奧白河ニ戰フコト、應永三年二月二十八日ノ條ニ見ユ、, ニ忍ビ住ス、木賀彦六入道同二十五日討之、, 〔喜連川判鑑〕從四位左兵衞佐滿兼, 〔鎌倉管領九代記〕三古我入道討新田義則, 死也、其賞として藤曲に底倉木賀を給はり、上杉禪助に屬し、安藤と改名, 十、四月、新田相模守義則底倉ノ莊, 〔鎌倉九代後記〕同。十年四月廿五日、新田相州ヲ木賀彦六入道カ在所底, す、, ○下, 未, 癸, (應永), 略, 名行啓, 木賀彦六, 子刑部少, ス説, 義則ト爲, 相模守法, ニ殺サル, 鎌倉府藤, 相模守ヲ, 行フ, 曲ニ底倉, ト政名ス, 藤曲安藤, トノ説, 木賀ヲ宛, 輔, 應永十年四月二十五日, 一〇三

割注

  • ○下
  • (應永)

頭注

  • 名行啓
  • 木賀彦六
  • 子刑部少
  • ス説
  • 義則ト爲
  • 相模守法
  • ニ殺サル
  • 鎌倉府藤
  • 相模守ヲ
  • 行フ
  • 曲ニ底倉
  • ト政名ス
  • 藤曲安藤
  • トノ説
  • 木賀ヲ宛

  • 應永十年四月二十五日

ノンブル

  • 一〇三

注記 (39)

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