『大日本史料』 7編 8 応永13年6月~同14年7月 p.318

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二月廿七日、爲御准母儀、令蒙准三宮宣給、上卿新大納言、, 給はねとも、花園院御位の時、後伏見院御このかみなから、ちゝ御門になす, らへ申されて、諒闇なともなかりしそかし、されは女院も永福門院のちか, 被申云々、珍重々々、, 云々、勅書草、, なとの御事にや、これはみな女御后よりしたいになりあかり給ひしかは, き御例をゝはれけるにや、おなしく御養母にて、度々御入内なともありし, 仰大内記長頼、, 申にをよはす、ちかきよには、廣義門院こそ院の女御にて、后にはそなはり, 〔北山院御入内記〕むかしより國母女院あまたわたらせ給ふ中にも、いと, やむことなきためしに申あひ侍しは、東三條院、上東門院、待賢門院、大宮院, やらむ、後には光嚴院、光明院二代の國母にさへならせ給、いみしかりした, 一關白殿ニハ女房衣袴ニテ、公卿座上妻戸端几帳ヨリ出逢、目出御渡之由, 令作勅書、奉行五位藏人宣資也、宣下以後長頼持參勅書、有恩祿、砂金、年官年, 爵事、被仰大外記師胤朝臣、封戸事被仰四位史彦枝宿禰、共成宣旨持參、賜祿, 〔迎陽記〕應永十四年丁亥三月廿三日、丁丑、昨日甚雨、今曉快晴、, 舊年十, ○勅書ハ前掲荒暦ニ, 見エタルヲ以テ略ス, 資藤, 卿、, ○中, 略, 城長頼ニ, 内記東坊, 勅書ヲ大, 作ラシム, 應永十三年十二月二十七日, 三一八

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  • ○勅書ハ前掲荒暦ニ
  • 見エタルヲ以テ略ス
  • 資藤
  • 卿、
  • ○中

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  • 城長頼ニ
  • 内記東坊
  • 勅書ヲ大
  • 作ラシム

  • 應永十三年十二月二十七日

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  • 三一八

注記 (29)

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