『大日本史料』 7編 22 応永22年正月~同年8月 p.169

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大河内の城を守らしめらる、, せくといへとも、難なく城を攻め落し、從弟雅俊朝臣にこれを守らしめ、弟顯雅朝臣に, な與みし奉る、其外伊賀・大和・志摩の軍兵共馳せ集る、ひとり木造俊康卿は、最初よ, して、京都へ攻め上らん用意し給ふ、關左馬助并に其一黨神戸・峯・國府・鹿伏兎等み, 二年春、國司兵を卒して、木造の城を攻給ふ、城主俊康卿は猶在京しけれは、家人等ふ, 譜に云、此時木造は將軍方にて、勢強かりけれは、かく顯雅をは大河内城に置きて、, り武家に親み深くして、此時も京都油小路の第に在て、國司の誅に預らすとなん、同中, 盡く武家を憤りて、兵をおこさん支度しけり、同廿一年九月、滿雅卿終に國内を驅り催, 彼か權を抑へ給ふ、これよりして、大河内家には、代々一門の智將を擇み置て家督と, 雅俊は顯俊の子にて、滿雅の爲には從弟なるか故に、改むること右のことし、寛永系, 按するに、二書皆雅俊を滿雅の弟とするは非なり、辨は、系譜考阪内か傳に詳なり、, るといへとも、御即位のこと既に定まりし上は、其甲斐なし、これによつて、諸國宮方, 云、, し、必しも其子孫をして嗣しめす、國司家の政務にも參預せしめらるとそ、伊勢卷に, 南方紀傳ニ, 櫻雲記, ○中, 略, 應永二十二年四月四日, 一六九

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  • 南方紀傳ニ
  • 櫻雲記
  • ○中

  • 應永二十二年四月四日

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  • 一六九

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  • 986,668,56,710大河内の城を守らしめらる、
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