『大日本史料』 8編 2 応仁2年8月~文明元年9月 p.168

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うち御うけ候なんとゝ申ふらされ候間、御百姓等ふしんの立申候て、御年, ちをたつへきよし申候間、ちたいニ罷下候とて、今月二日付られ候、言語道, 貢おも沙汰申さす候處ニ、又五郎方御下候間、御年貢おもほんそう申へき, をめされ候て、御下あるへく候、國之事は人を被入候つれとも、中〳〵我々, おも仕候て、寺家へ參り付へき心中候つれとも、たゝもとおり候はゝ、いの, 事は事外つおくもち申て候、京都之御はたらきかんやうたるへく候、定而, 斷之子細と我々申候へとも、中々申すかいなく候、其計にてたいくつ仕事, 爲三人僧を上せ申候、いかやうともめされ候て、公方樣、御屋形樣之御奉書, 之事は、ほんそう申へき由、御百姓等申候、秋中と成候ては、にいみ殿寺家樣, 百姓等一人にても候へ不出合候間、三日ニあたり候日、軈而被罷歸候、國之, なく〓〓なんとなりとも、道ふつそうニ候とも、注進可仕候間、重而又我々, 御ふしんあるましく候、京都すおくいかにも御沙汰めさるへく候、御年貢, 由申候處ニ、如此秋庭殿よりうけ給候間、百姓等計會仕候、たとへ五年三年, 御一こん可入候、いかやうとも先ニめされ候て、末代御領ニ御つためある, へく候、御奉書をめされ御下候はゝ、御年貢可納候、爲其又五郎方國え上は, (候カ), 領トセン, 新見庄ヲ, 使僧上京, コトヲ望, 末代東〓, ヲ果サズ, 再ビ使僧, シテ歸ル, ヲ上ス, 百姓等〓, 町ヲ排斥, セントス, 應仁二年十月十九日, 一六八

頭注

  • 領トセン
  • 新見庄ヲ
  • 使僧上京
  • コトヲ望
  • 末代東〓
  • ヲ果サズ
  • 再ビ使僧
  • シテ歸ル
  • ヲ上ス
  • 百姓等〓
  • 町ヲ排斥
  • セントス

  • 應仁二年十月十九日

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  • 一六八

注記 (30)

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