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信功あり、, 甲斐の領主也、足利氏の天下を治メ給ふに至て、甲斐に安藝を添て領す、時に甲斐を惣領, ハ、弟武田安藝守元綱の領也、元綱の居城は、元祖より安藝の金山ノ城、是名城也、凡日, に及フ、兩方兵を集む、武田國信、安藝・若狹の勢三千餘騎を率して、細川勝元の陣に入, 本に三武田有り、甲斐の武田・安藝の武田・若狹の武田也、元一家より出ル、數代武田ハ, 都合拾六萬人、扨又山名宗全與力の大名には、斯波・一色・土岐・佐〻木・大内・吉良・, 給ふ、勝元與力の大名にハ、畠山・斯波・京極・赤松・富樫・吉良・仁木・土橋の人た、, 文明三年卯六月、信賢卒去の後家督たり、若狹一國・安藝半國を領し給ひ、居城若狹小濱, 仁木の人た、都合拾壹萬餘人、雙方立分れて、將軍はさし置、洛中にて數度戰ふ、武田國, 武田大膳大夫信賢, と是ゟ定ル、後瀬山の麓に城を筑なり、安藝國の事、國信半國領してひ、相殘ル安藝半國, 應仁元年亥五月、京都に於て細川右京大夫勝元・山名宗全兩家不和に成て、既に合戰, 武田大膳太夫國信治部少輔共、國信は養子、實ハ弟也、, 〔若狹守護代記〕, ○中, ○中, 略, 略, 二築城ス, 小濱後瀬山, 延徳二年六月二十一日, 一八五
割注
- ○中
- 略
頭注
- 二築城ス
- 小濱後瀬山
柱
- 延徳二年六月二十一日
ノンブル
- 一八五
注記 (22)
- 1072,717,53,235信功あり、
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