『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.755

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引取けり、かくて四人の大敵評定して、此城の躰、俄責には成間敷、遠責にせ, さりけれは、散々に戰ひまけ、五丁程北走る、桑名、久武も長追せず、本の陣に, ふセけとて、其勢三百餘騎、岡豐の城に楯籠り、堀をほらさ、逆も木引よさく, 殘る兵四十餘騎になる、兵粮も盡けれは、元秀討死とおもひ定め、普代の侍, だ、はや乘込メ者共と下知すれは、はやりをの若者とも、我先に〳〵と馬に, ける、身方には、ときの聲もあわせず、矢の〓とつをも射出さず、更に人あり, よとそ、三方をとり卷、三十餘日責たり、數日の戰に城中の兵討死、或は落て、, 降る如くさん〳〵に射、少し色めく所を、桑名丹後守重定、久武肥後守忠光、, とも見へされは、四人の大將一所に聚り、あはや元秀は聞逃ケしたるにこ, 國見嵐に吹なひかさ、いきほひかゝつて押寄せ、鯨波をとつとだあけたり, とつとおめいて欠出る、本山方には、敵をあなとり油斷して、備へ〓なはら, る敵を待居たり、かくて四人の大將其勢都合二千餘騎、家々の旗二十餘流、, 聞、おほからぬ身方の勢を以、かけ合の合戰然るへからず、唯城に引籠つそ, 息をもくれす、ほりかけともいはず押詰めたり、城中には、敵を矢ころに引, 請ケ、中内藤兵衞大將にて、西の尾崎の松林の中より、くたりこほしに雨の, 城ヲ出デ, ヽ戰フ, 桑名重定, 永正六年五月是月, 七五五

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  • 永正六年五月是月

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