『大日本史料』 9編 14 大永元年是歳-大永元年雑載 p.13

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氏綱五十五歳ニシテ卒去セラル、在世ノ時父早雲庵ノ遺言有シ旨ニ任セ、小田原ノ城下, 湯本ノ郷ニ一宇ノ伽藍ヲ創建シ、紫野ノ大徳寺ヨリ大隆禪師ヲ請待シテ、開祖ノ住持ト, シタリ、常ニ五百口ノ僧徒ヲ居へ置、一千餘貫ノ領地ヲ寄附シテ、當家永代ノ菩提所ト, く、當寺爲勅願淨刹、至佛法紹隆、宜奉祈皇家再興者、天氣如此、仍執達如件、, となり、今は早雲の寺號ばかりぞ殘りける、, シ、金湯山早雲寺ト號ス、山門・佛殿・法堂・鐘樓・食堂以下ニ至ル迄、壯嚴奇麗ヲ盡, 定ラル、然已ナラス、氏綱忝クモ後奈良院ノ勅命ヲ蒙リ、御即位ノ料米ニ黄金貳拾枚ヲ, 付テ、主上叡感斜ナラス、氏綱左京大夫ニ任セラレ、且ハ執奏ノ懇望ニ任セラレ、沒後, 添テ、代官ノ專使ヲ差立、相州ノ浦邊ヨリ伊勢ノ國へ渡海ナサシメ、帝都へ進獻有シニ, かくのこときの靈寺たりといへとも、末代に至て破却しなきがごとし、皆是むかし語り, 關東第一の名寺也、下萬民に至る迄偈仰のかうべをかたぶけずと云事なし、勅書にいは, 〔關八州古戰録〕1北條早雲庵父子附氏綱菩提所建立之事、, 爲早雲寺大隆禪師禪室, 天文十一年六月廿四日左大辨, 天文十一年六月廿四日, 同十年七月十九日, ○中, 略, 同十年七月十九日, 大永元年是歳, 一三

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  • ○中
  • 同十年七月十九日

  • 大永元年是歳

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  • 一三

注記 (21)

  • 1053,704,63,2239氏綱五十五歳ニシテ卒去セラル、在世ノ時父早雲庵ノ遺言有シ旨ニ任セ、小田原ノ城下
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