『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.338

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ひの時も一方口なれ六、皆無引事、詰居程に、則男女共になで切にぞしたり, ける、右之大久保甚十郎は、右に一揆の起申とる折節に通合ければ、悉歴々, り鉄炮にて、左の〓にさおを被討て討死をする、平井甚五郎も討死をする、, 家康公ヲ爲可度ノ由ト云々、然處家康公早速被相通ケルヲ後聞〓、一揆後, 其外數多討死有、堀川は鹽の指たる時は、舟にてより外可行かたもなし、鹽, 頓て屏に付て乘、然間大久保甚十郎、十七歳にて一番に乘ける所を、うちよ, 川ヲ被通ケルヲ、雜兵ト心得、一揆不出、是討留ハ、家康被通間敷際、朴ニ相通、, 悔シケル也、此時堀川ニテ近習隨分之者共被討、家康公則廻轡、堀川一揆ヲ, の衆達も一同す、駭課衆も有ければ、甚十郎は御膝本近被召仕申、御意の能, 候由告來りければ、其儘取あへさせとまはず懸付給て、催もなく寄懸程に、, 四月、遠州漸平均付テ、家, 被責崩、不殘被討果、同所々一揆成敗也、, 康公三河え皈馬之處、則遠州一揆蜂起〓通路不輒、家康公十七八騎ニテ、堀, 然處に、三月日、堀河に一揆の起申, 〔三河物語〕二, [當代記〕一, 門、武田信玄ニ降ルコトニカヽル、, 上略、今川氏眞、小田原, ○上略、今川氏眞ノ將岡部二郎右衞, 退去ノコトニカヽル, ○官本參河, 記異事ナシ、, 三河ニ歸, ヲ平定シ, 家康遠江, 永祿十二年四月十二日, 三三八

割注

  • 門、武田信玄ニ降ルコトニカヽル、
  • 上略、今川氏眞、小田原
  • ○上略、今川氏眞ノ將岡部二郎右衞
  • 退去ノコトニカヽル
  • ○官本參河
  • 記異事ナシ、

頭注

  • 三河ニ歸
  • ヲ平定シ
  • 家康遠江

  • 永祿十二年四月十二日

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  • 三三八

注記 (27)

  • 393,695,67,2198ひの時も一方口なれ六、皆無引事、詰居程に、則男女共になで切にぞしたり
  • 276,699,74,2192ける、右之大久保甚十郎は、右に一揆の起申とる折節に通合ければ、悉歴々
  • 623,693,70,2212り鉄炮にて、左の〓にさおを被討て討死をする、平井甚五郎も討死をする、
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