『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.119

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ニ桑名より御舟こめされ、〓田之浦へ船著也、, も穴山を討捕候由、穴山不調法、其上穴山供のものとも、奇麗をいたし、の, 一駿州江尻之城に、穴山は權現樣御跡より參候處に、宇治田原にて、一揆と, し付を指申候もの多召連候に付、一揆とも、のし付を目かけ討捕候よし、, 御供いたし、濱松まて被參候、伊賀越ヲ伊勢え御出被成候、其次第の儀者, 聞、人數四万に出申候故、御上洛被成遲々候由、, 竹を案内者ニ御付被成候、大坂御見物被成、それより堺え御見物とて御, 出被成候處に、信長公御切腹堺え注進と承候、右之長谷川お竹、家康卿の, 家康卿御時宜には、一人御添被成候樣ニと御理被成候、はらは長谷川お, 後に沙汰有之よし承候、, 覽候へとて、穴山殿も被召連候、けれより大坂堺御見物とて御下被成候, 徳川殿、穴山梅雪、長谷川竹、和泉, ニ、一揆共差合、穴山梅雪生害し、徳川殿、長谷川竹、御人數被召列候之間、無事, 之堺にて、此由きかせられ、取物も不取敢、宇治田原越にてのかせられ候處, 〔川角太閤記〕上ノ一家康卿を京まては同道可申候、大坂堺其次而ニ御, 天正十年六月四日, 〔原本信長記〕坤〇〓〓、モ長、〓癆ニセ, ラル、コト二カヽル, 〇上略、信長、光秀ニ弑セ, ○, へ著船ス, 桑名ヨリ, トノ説, 乘船〓田, ニ從ヒ濱, 梅雪宇治, 殺サル, 田原ニテ, 松ニ至ル, 秀一家康, 一一九

割注

  • ラル、コト二カヽル
  • 〇上略、信長、光秀ニ弑セ

頭注

  • へ著船ス
  • 桑名ヨリ
  • トノ説
  • 乘船〓田
  • ニ從ヒ濱
  • 梅雪宇治
  • 殺サル
  • 田原ニテ
  • 松ニ至ル
  • 秀一家康

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  • 一一九

注記 (31)

  • 1020,636,60,1334ニ桑名より御舟こめされ、〓田之浦へ船著也、
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