『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.120

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古き衆御旗本にも可有御座候、御尋可被成候事、, すてに歸路におもむきたまふ、路に川あり、忠次小舟一艘をもとめ得ての, さねて大軍をおこし、是をせめたまふへし、大權現これにしたがひたまふ, 忠次が申けるは、今供奉いたす所の兵すくなし、伊賀路をへて國に歸り、か, 一羽柴筑前守天下に成申後、長谷川お竹をは、家康卿より被進候、後羽柴藤, 大權現おとろきたまひ、いうき上洛して明智をうたんやとおほせけるを、, 現和泉の堺におもむきたまふ、六月二日、信長、明智光秀かために〓せらま、, 得て、信樂の山中をへて、伊勢の白子にいて、舟にのりて三州にいる, て、信長に〓したまふ時、穴山梅雪これにしたがふ、忠次等供奉す、信長、忠次, 權現も、のぼりましませば、穴山同しくこれにしたがふ、それよりして、大權, 等并に御家人をもてなし、信長みつから肴を引たまふ、其のち信長上洛、大, せたてまつり、忠次は小鴉といふ馬にのり、川をわたる、供奉の人をみな渡, 五郎ニ被罷成候、越前にて十二万石拜領候、惟澄五郎左衞門殿御果被成, 同年、大權現江州安土におもむき, 候後之事、, 〔寛永諸家系圖傳〕九酒井忠次, 天正十年六月四日, 左衞, ○上下, 門尉、, 略、寛政, ヲ勸ム, 忠次歸國, 酒井忠次, 天正十年六月四日, 一二〇

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  • 左衞
  • ○上下
  • 門尉、
  • 略、寛政

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  • ヲ勸ム
  • 忠次歸國
  • 酒井忠次

  • 天正十年六月四日

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  • 一二〇

注記 (26)

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