『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.920

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

といへとも、御ゆるしなきにより、長子忠宣を携へ、彼城を去て處士とな, より、忠世と共に遠江國二俣の城を守衞する乃處、故ありてこれを辭す, ろ乃敵を射ころす、のち九鬼彌五介澄隆伊勢國にありて、加勢を請たて, 忠次鳶巣山にむかふ、こはのとき、忠政も仰をうけたまはりてかしこに至, 忠世とおなしく軍功を勵し、創をかうふる事あまたなり、其後忠政仰に, 三方原の役に、武田家の兵三騎を射殺す、天正三年長篠合戰乃とき、酒井, ひたてまつり、二十八日亂軍の中にして、敵兵二騎を射落す、三年十二月, におもむき、七島の徒と海陸所々に戰ふ、このとを、忠政か矢に中りて死, 等とゝもに軍事をつとめ、共に矢をはなちて奮ひ戰ふ、退口乃時、逐とこ, 傷するもの數人、つゐに勝利を得たり、元龜元年六月、姉川の役にしたか, せく、のち駿河、遠江、信濃等の國々にをいて、數度の戰場にのそみ、大久保, る、四年遠江國乾の合戰退口のとき、忠政弓をたつさへ、殿してこれをふ, り、伊勢國に住し、また程へて三河國にかへり、上和田に閑居す、十二年長, 井忠次、本多廣孝をしてこれを攻しめたまふ、このとき忠政、大久保忠勝, まつるにより、忠政仰をうけたまはりてかの地にいたり、夫より志摩國, 慶長十二年五月六日, 忠政處士, トナル, 慶長十二年五月六日, 九二〇

頭注

  • 忠政處士
  • トナル

  • 慶長十二年五月六日

ノンブル

  • 九二〇

注記 (20)

  • 291,750,64,2138といへとも、御ゆるしなきにより、長子忠宣を携へ、彼城を去て處士とな
  • 411,749,63,2140より、忠世と共に遠江國二俣の城を守衞する乃處、故ありてこれを辭す
  • 1583,736,58,2141ろ乃敵を射ころす、のち九鬼彌五介澄隆伊勢國にありて、加勢を請たて
  • 880,742,59,2144忠次鳶巣山にむかふ、こはのとき、忠政も仰をうけたまはりてかしこに至
  • 530,743,60,2144忠世とおなしく軍功を勵し、創をかうふる事あまたなり、其後忠政仰に
  • 996,740,61,2145三方原の役に、武田家の兵三騎を射殺す、天正三年長篠合戰乃とき、酒井
  • 1116,748,59,2135ひたてまつり、二十八日亂軍の中にして、敵兵二騎を射落す、三年十二月
  • 1349,742,61,2141におもむき、七島の徒と海陸所々に戰ふ、このとを、忠政か矢に中りて死
  • 1701,733,58,2146等とゝもに軍事をつとめ、共に矢をはなちて奮ひ戰ふ、退口乃時、逐とこ
  • 1232,734,61,2144傷するもの數人、つゐに勝利を得たり、元龜元年六月、姉川の役にしたか
  • 643,751,62,2139せく、のち駿河、遠江、信濃等の國々にをいて、數度の戰場にのそみ、大久保
  • 762,747,61,2137る、四年遠江國乾の合戰退口のとき、忠政弓をたつさへ、殿してこれをふ
  • 174,751,65,2138り、伊勢國に住し、また程へて三河國にかへり、上和田に閑居す、十二年長
  • 1818,730,60,2149井忠次、本多廣孝をしてこれを攻しめたまふ、このとき忠政、大久保忠勝
  • 1467,743,59,2138まつるにより、忠政仰をうけたまはりてかの地にいたり、夫より志摩國
  • 1934,734,43,377慶長十二年五月六日
  • 199,306,42,172忠政處士
  • 162,311,29,113トナル
  • 1934,734,43,377慶長十二年五月六日
  • 1937,2465,41,117九二〇

類似アイテム