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をおなしうして、東照宮に忠節をいたす、五年、台徳院殿にしたかひたて, 氏こたへて、某は、居城濱松をあけわたしたてまつるへきのあひた、御人, まつり、下野國宇都宮にいたる、このとき東照宮は、同國小山に御著陣あ, す、忠氏か手にうちとるところの首、二百二十七級なり、二十三日、諸將瑞, 接し、一柳直盛とゝもに、敵のうしろにまはりてせむるかゆへに、敵敗走, 數を入おかれ、御上洛あるへしと言上すへしとなり、すでにして、會津を, 我々の所存をとはせたまはゝ、いかゝこたへたてまつらむやといふ、忠, すておのれ、上方御進發に事決するにより、七月二十八日、忠氏、御先手の, るのところ、石田三成等、反逆の色をあらはすのよし告來りけれは、諸將, をめされて評議あり、山内對馬守一豐、忠氏にむかひ、今日御前において、, 諸將とゝもに小山を發し、八月十四日、尾張國清洲城に著陣す、二十二日, 諸將岐阜城をせむ、忠氏は、池田輝政、淺野幸長、山内一豐等とゝもに、上の, 龍寺山の城をせむ、忠氏、郷渡川をわたりて、大坂の援兵を追崩し、首級を, 瀬、河田のわたりにむかふ、忠氏は、たゝちに川上よりこへて、一番に鎗を, 得たり、この事江戸に言上せるのところ、二十九日、東照宮より御感状を, 慶長九年八月四日, 忠氏, ヲ明渡ス, 慶長五年, 忠氏ノ岐, 忠氏居城, 阜攻, 二於ケル, 四五八
頭注
- 忠氏
- ヲ明渡ス
- 慶長五年
- 忠氏ノ岐
- 忠氏居城
- 阜攻
- 二於ケル
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- 四五八
注記 (24)
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