『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.462

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綱をかひくりて敵中へ馳入、自身は手をおろさす、馬の左右前後にて、手の, 者に功名させ、にこ〳〵と笑ひて、馬を乘〓されたる粧ひ、平生の如し、また, 聞ある人にて、秀吉公にも、堀尾は、死することを少しも辭せさるものなり, つ與へられしに、彼輩忠氏の前を退き、輕きものといへとも、もの前の賜を, 得て、明日手に合すは、面目あるへからすとつふやきしか、彼扇子を賜はり, によろひて、冑をは著す、猩々緋の羽織に大紋を付、赭の馬にのりて、紅の手, 右川越の前夜、方々よりさゝけたる扇子箱を取寄、近習の輩に、扇子一本つ, たる輩、一人も殘らす、皆首を取たりといへり、この忠氏の父帶刀は、大勇の, と、常に仰られしか、子息雲州も父の血脈を繼れしにや、命なるかな、老父に, れは、再ひ國務を沙汰し、年積て六十九歳、同き十七年六月十七日に卒す、, 晴は、近曾の疵うれへて、子息に國ゆつり、松江の城に籠り居けり, るとき、二十三歳なれとも、かくれなき美男にて、十七八に見えしか、花やか, 先立て卒す、其子小太郎、わつかに六歳にて父に繼く、祖父吉晴、其孫幼なけ, 堀尾信濃守忠氏、濃州岐阜攻の節、木曾川を渡りて戰はれけ, 忠氏國を受けて、出雲守に任し、同き九年八月四日、廿七歳にて、父に, 〔藩鑑〕, 八十, は、吉晴始, 松江の城, て築き, し所也, 八, 忠氏ノ美, 貌, ケル忠氏, 父子ノ勇, 陣中ニ於, 可晴忠氏, 慶長九年八月四日, 四六二

割注

  • 八十
  • は、吉晴始
  • 松江の城
  • て築き
  • し所也

頭注

  • 忠氏ノ美
  • ケル忠氏
  • 父子ノ勇
  • 陣中ニ於
  • 可晴忠氏

  • 慶長九年八月四日

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  • 四六二

注記 (30)

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