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長門守爲春り女、, となり、十九年、大坂の役に、隊下の士を〓きゐて供奉し、元和元年。再陣の, 年十月六日卒す、年四十五、休翁宗罷萬松寺と號に、山川の萬松寺に葬る、, 年、將軍宣下御拜賀のとお扈從し、從五位下に敍す、のち御小姓組の番頭, のとお、成長のゝち著すへきむ〓仰ありて、めされしところの御長袴を, とたも、したりふたてまつり、忠元か手に首五級を得たり、のち西城御書, 忠善母は某氏、慶長十七年生る、十九年、はしめて東照宮に拜〓す、, 院殿につりへたてまつり、相模國のうちにをいて、釆地をたまふ、慶長十, これ忠元の開基せしところなり、後代々葬地とす、室は紀伊家の臣三浦, 山川、結城、鹿沼、板橋、近江, 國のうちにをいて、すへて三万五千石を賜はり、政務をあつりりきく、六, 母ぬ爲春り女、水野主膳忠朋ら祖、, 忠元母え某氏、天正四年生る、東照宮の仰によりて、いときれきより台徳, 院の番頭にうつり、そのゝち采地を轉し、下野國, 忠久, こ, 女子母は某氏、佐野内藏丞政信か妻、, 今の呈譜、下總國に作る、, 見をたり、古今の沿革いまたいつきか詳ならに, 總にして、結城は兩國に係り、鹿沼、板橋く下野に, 主膳、越, 地志によるう、山川は下, 三歳, 中守、, 時〓, 女子母は某氏、佐野内藏丞政信か妻、, 石ヲ領ス, 三萬五千, 從フ, 大坂陣ニ, 室ハ三浦, 爲春ノ女, 元和六年十月六日, 四四三
割注
- 今の呈譜、下總國に作る、
- 見をたり、古今の沿革いまたいつきか詳ならに
- 總にして、結城は兩國に係り、鹿沼、板橋く下野に
- 主膳、越
- 地志によるう、山川は下
- 三歳
- 中守、
- 時〓
- 女子母は某氏、佐野内藏丞政信か妻、
頭注
- 石ヲ領ス
- 三萬五千
- 從フ
- 大坂陣ニ
- 室ハ三浦
- 爲春ノ女
柱
- 元和六年十月六日
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- 四四三
注記 (34)
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