『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1171

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其順次をあらたむ、, て家を興す、, 允忠頼と、かはる〳〵岡崎、犬山、龜山等の城に在番すといへとも、病にか, て、丹波國龜山城の番をつとむる事凡二年、こはれよりさき、氏勝、松平左馬, をいて卒す、年五十三、, 尾張國犬山城を守る、をきに台徳院殿木曾路より御進發あり、犬山城を, 御羽織を賜ふ、關原凱旋のゝち、東照宮御入洛のとき、仰をうけたまはり, るのとき、仰により御駕に先たちて進發し、田中民部少輔吉次より、岡崎, 過らせたまふのとき、氏勝御膳をたてまつり、御馬を獻せしかは、御料の, 寛永の譜、繁廣をもつて氏重か弟に繋といへとも、今の呈譜によりて、, 宮異父の御妹なり、文禄四年生る、はしめ、異父の兄松平左馬允忠頼か居, ゝるにより、男繋廣をしてこれに代らしむ、十六年三月二十四日、領地に, の城を請取て在番す、すてにして台駕吉田にいたる、また仰をかうふり、, 氏重實は保科彈正忠正直か四男、母は久松佐渡守俊勝か女多却君、東照, 繁廣實は氏繁か四男、氏勝か養子となり、男安房守正廣かときにいたり, 諸城在番, 三河尾張, 丹波等ノ, 繋廣, 氏重, 慶長十六年三月二十四日, 一一七一

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  • 諸城在番
  • 三河尾張
  • 丹波等ノ
  • 繋廣
  • 氏重

  • 慶長十六年三月二十四日

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  • 一一七一

注記 (22)

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