『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1169

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所なり、ふたゝひ小田原に來りて、軍忠をはけむへきむねを説しむ、しか, に氏政父子も疑の心を生す、氏勝恨みはきとをりて、なを城を枕として, れとも、氏勝甘繩城を守り戰死をとけ、先の耻をすゝかむと志を決し、敢, 弟氏成等かために制し止めらる、しかれとも、其守城を落され、何の面目, の城陥ること、氏勝か武勇の足さるにあらす、北條家の運傾くかいたす, て其むねに應せす、粟田小田原にかへり、氏勝志を太閤に通すと纔す、故, 忠死をとけんと決す、この時にあたり、太閤より黒田官兵衞孝高をして, 城を守る、二十九日、豐臣秀次五萬餘騎をひきゐてこれを攻、氏勝をはし, にして城を守ることあたはす、氏勝纔にまぬかれ出、自殺せんとせしを、, め城兵等防戰すといへとも、しは〳〵利を失ひ、諸將おほく討死し、微勢, ありて、再ひ小田原城にかへり入むやとて、從士十八人とゝもに髮を薙、, のとき、三月、氏政父子のむねをうけて、松田兵衞大夫康長を助けて山中, 甘繩城に入て蟄居す、このとき、氏政父子より粟田の某を使として、山中, の先鋒となり、しは〳〵軍功あり、天正十八年、豐臣太閤小田原城を攻る, か女、永祿二年生る、父に繼て氏政につかへ、關東惣軍, 氏勝母は氏康, ○北, 條, ニ入リ薙, テ甘繩城, 小田原役, 粟田某氏, 氏勝敗レ, 髮ス, 政ニ讒ス, 氏勝ノ事, 蹟, 慶長十六年三月二十四日, 一一六九

割注

  • ○北

頭注

  • ニ入リ薙
  • テ甘繩城
  • 小田原役
  • 粟田某氏
  • 氏勝敗レ
  • 髮ス
  • 政ニ讒ス
  • 氏勝ノ事

  • 慶長十六年三月二十四日

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  • 一一六九

注記 (29)

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