『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.634

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て、勝川乃道を先導したて)了つる、ところの名吉兆にかなへりとて、勝川よ, かは、氏次謹て請申けおは、某もとより當國の地理をしる、ふかはくは先導, となりて、尺寸の功をはきまさむとなわ、其旨御許容あるにより、則弟氏重, 猪子石、勝川ぬたつの道あれは、御旨にまかすへきよしを言上し、仰により, 崎乃要害をかこみて攻撃こと急なり、城兵すくなくして、これをぬとくこ, 後陣三好秀次か兵は、小幡乃東なお細山崎にありて兵を休らふ、氏次等六, 信、鈴木吉左衞門光澄をめして、岩崎にい告おの道路を問をた)刀ふ、よりて, ゝにをいて、池田勝入、森長可たゝちに三河に打入んとて、すてに軍を發す、, とあたはす、氏重をはしめ郎等百餘人、雜兵二百人皆戰死し、城終に陷るか、こ, そかに小牧山乃御陣より發向あおへしとて、氏次か家臣、丹羽半左衞門茂, 勝入信輝等、虚を窺て、三河國にうち入んとのきこえあおにより、東照宮〓, をして岩崎城を守らしを、その身は、御摩下の前隊に加はお、こ乃とた池田, 部長盛等とゝもにすへて六隊、御供に候す、四月九日の未明、池田か先陣岩, 隊の將だのうしろより不意に鯨波を發し、矢を放てここを攻撃、就中氏次, り御鎧をめさお、このと〓氏次、大須賀康高、榊原康政、本多康重、水野忠重、岡, 氏次等秀, 鈴木光澄, 次ノ兵ヲ, 丹羽茂信, 襲フ, 天正十二年四月九日, 六三四

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  • 氏次等秀
  • 鈴木光澄
  • 次ノ兵ヲ
  • 丹羽茂信
  • 襲フ

  • 天正十二年四月九日

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  • 六三四

注記 (22)

  • 969,627,70,2200て、勝川乃道を先導したて)了つる、ところの名吉兆にかなへりとて、勝川よ
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