『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.177

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をさんをんかため、秀繩か籠る新造の曲輪を攻やぬる、この時勝俊戰功, 乃うち、勝俊を以て一本鎗と稱すへしとて、感状をさにく、ずの他晴朝か, すといへとも、勝俊、家臣持次をして、諸國巡禮乃僧に形を作り、濱松につ, かはし、書を捧て御氣色をうかゝひたてま例る、持次御返翰を得て歸路, るゝ事數月、しかりといへとも、ふかく御返翰を隱し、巡禮乃僧なりと陳, して敵若干をうちとりしかは、謙信大にこれを賞し、下總國金地五千騎, 眼前にをいて、しは〳〵軍功をあらはすかゆへに、晴朝頓て勝俊か代々, すといへとも、兄小山乃城主秀繩なを服せさるをもつて、晴朝、氏政か疑, に赴き、甲斐國を過るのところ、武田勝頼か兵に捕へられ、禁獄せしめら, をあらはす、氏政感して、帶る所の太刀を解て勝俊にさつく、乃ち從弟皆, 川山城守廣照と、ともに志を合せ、專忠節をつくすへきむね、家臣石野丹, 乃功を記して、結城の氏神高橋社に納む、天正二年、晴朝、北條氏政と和平, 物樽乃茶入、及ひ猩々緋乃雨羽織を〓まふ、九年の秋、諸道塞り往來通せ, とき、結城晴朝にしたかひ先鋒となり、衆に抽て戰功をあらはし、また殿, 波持次をして、東照宮に言上し、蒼鷹六居、黄鷹十居を獻す、御感ありて、唐, 勝俊ノ家, 皆川廣照, 臣石野持, ニ屬ス, 次濱松ニ, 勝俊家康, 使ス, ニ屬ス, 結城晴朝, 慶長十一年六月三日, 一七七

頭注

  • 勝俊ノ家
  • 皆川廣照
  • 臣石野持
  • ニ屬ス
  • 次濱松ニ
  • 勝俊家康
  • 使ス
  • 結城晴朝

  • 慶長十一年六月三日

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  • 一七七

注記 (26)

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