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村におなし、, 命をうけて、居城下舘に守禦を設けんとするの處、義宣軍議を變して、赤, てまにり、凱旋のときも、御供に候して濱松にいたる、乃ち御上洛乃とを, 次御陣營に參上せしかき、御書を勝俊に下され、持次を相模國まて送ら, はりて、下野國鍋掛に陣し、義宣の兵に備ふ、逆徒伏誅のゝち、義宣降るに, したかひ奉り、下野國宇都宮に至る、時に、佐竹右京大夫義宣、御發駕乃御, も供奉す、十八年、關東御入國の時、勝俊、關東の案内者たるを以て、御先に, をたまひ、しは〳〵御書を下さる、この年、甲斐國新府御陣にしたかひた, 跡をうつゝひ、下舘結城を歴て、江戸に討入のきこえあるにより、勝俊、鈞, 舘にうち出るのよしきこしめされ、皆川廣照とゝもに御先をうけたま, より、勝俊兵を收む、九年、台徳院殿勝俊の邸に渡御あり、是とき勝俊點茶, して、終に免かるゝ事を得たり、十年三月、甲府に入らせをまふ乃とき、持, しめ〓まふ、その他、或は甲冑呉服等を童まはり、或は御羽織、鴨捉乃隼等, まいる〓きむね仰下さる、慶長五年、上杉景勝御征伐のとき、台徳院殿に, を獻す、十一年六月三日卒す、年六十五、靠山全虎後定林寺と號す、葬地正, 室き堀田勘左衞門正吉か女、, 慶長十一年六月三日, ○下舘, 定林寺, 者ヲ勤ム, 關東案内, ヘノ備, 關ケ原役, ケル勝俊, ノ際ニ於, 佐竹義宣, 一七八
割注
- ○下舘
- 定林寺
頭注
- 者ヲ勤ム
- 關東案内
- ヘノ備
- 關ケ原役
- ケル勝俊
- ノ際ニ於
- 佐竹義宣
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- 一七八
注記 (27)
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