『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.625

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るに、政宗こたへ〓、其謀よしといへとも、我兵眞田幸村と三度乃告ゝかひ, 藤井寺に屯せる城兵、軍をおさめむとするところを追うたは、平野よりこ, 敵將後藤又兵衞基次藤井寺より譽田をへて、大和路に押い〓し、曉にいた, に、玉藥も數を盡し、家人等討死手負おほくしす、戰ふ事を得すと辭す、其往, みよ、勝成敵の寄來しを察し、諸勢に下知し、備をまう〓てこれをまちしに, り、片山に乃ほり〓鉄炮をはなつ、ときに松倉重次、奧田忠次等先を爭ひ〓, 崩す、男勝俊、中山照守、村瀬重治等相にゝいて勇戰す、丹羽氏信と道明寺の, に至りて人數をたつ、勝成これをみて、松平陸奧守政宗か陣に使をはせ、今, 前に備へしか、虚實を察しす横鎗を入、勝成と共に道明寺をこはえ、譽田乃宮, 手のものに下知し、兵をすゝめ〓眞先に戰ひをましへ、山〓あかたまて追, よに、夜半にをよひ、松明おほく藤井寺の方につらなりて、程なくきゆるを, 復再三にをよむしに、肯せさりしかは、なをも中山照守と牒し合せ、本多忠, まて追討す、城兵等けゝぬな〓あたはす、敗走して藤井寺のあたり、平野道, すゝみ戰む、忠次等數十人討死し、味方の兵やゝ引退く、勝成こ〓をみ〓、其, なたにておほかしとうちとれへし、政宗も加勢せらるへしといひ送りけ, 戰ス, 勝成ノ子, 丹羽氏信, 横鎗ヲ入, 勝俊等勇, 元和元年五月六日, 六二五

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  • 戰ス
  • 勝成ノ子
  • 丹羽氏信
  • 横鎗ヲ入
  • 勝俊等勇

  • 元和元年五月六日

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  • 六二五

注記 (22)

  • 501,638,62,2221るに、政宗こたへ〓、其謀よしといへとも、我兵眞田幸村と三度乃告ゝかひ
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  • 1786,645,62,2230みよ、勝成敵の寄來しを察し、諸勢に下知し、備をまう〓てこれをまちしに
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