『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.669

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感をかうぬる、のち、仰により弟資重を質として關東にいたらしむ、この, あり、頼勝をもめされて、御自其功を賞したまひ、凱旋のゝち、備前、美作兩, 美濃國松尾山に陣す、頼勝、か〓てより秀秋にすゝめて、ひそかに東照宮, しむ、大谷吉隆は其麓に陣を取る、頼勝、東照宮の御陣にむかはんとする, とき、秀秋は關原の南丸山のあたりに陣をすゝめ、頼勝をして先陣たら, は〳〵まみへたてまつる、慶長五年、石田三成謀反のとき、大坂より頼勝, に屬せしめ、頼勝か家臣神木清兵衞某、齋藤與右衞門某を江戸に遣はし, に質をこふにより、其女を贈る、九月關原の役に、秀秋、三成と約をなして、, 國を秀秋にたまひしかは、秀秋もまた、頼勝か勳功を賞して、備前國小島, 秀秋に仕ふ、東照宮、秀秋とましはりをむすひたまぬの時、其使として、し, て、事のよしを言上せしかは、これ頼勝か忠節のいたすところなりと、御, 敗北し、吉隆もつゐに自殺す、御勝利のゝち、丸山において秀秋に御對面, 道阿彌、東照宮の恩命をうけしまはり、今よりのち、憚ことなく諸國を經, 形勢をしめし、かへりて吉隆の陣を討、敵兵數千をうちとる、よりて敵軍, にをいて、二萬石の地をあとふ、其のち、讒言により流浪せしところ、山岡, 慶長十二年二月二十四日, 秀秋ニ家, 備前小島, 關ケ原役, 秀秋ヨリ, 康ニ屬セ, ノ時頼勝, ンコトヲ, 二萬石ヲ, 賜ハル, 勸ム, 慶長十二年二月二十四日, 六六九

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  • 秀秋ニ家
  • 備前小島
  • 關ケ原役
  • 秀秋ヨリ
  • 康ニ屬セ
  • ノ時頼勝
  • ンコトヲ
  • 二萬石ヲ
  • 賜ハル
  • 勸ム

  • 慶長十二年二月二十四日

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  • 六六九

注記 (28)

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