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弟看圓二人を補ふ、, ちにをいて、采地五百石、及ひ矢橋村舊宅の地を賜ひ、御話の衆に加へらる、後阿彌陀の, 重次病者たるにより、家を繼す、妻は早川主馬某か女、, 重頼等か年齡によりて考るに、今の呈譜、實事を傳へたるに似たり、依て重次及ひ其, に屬す、秀秋卒するのゝち、慶長八年、伏見にをいて、東照宮にめされ、近江國栗太郡のう, 像一〓を賜ふ、元和六年, か遺跡を繼しにより、寛永系圖、重頼を忠重か子の系に係しと見ゆ、しかれとも、忠重、, 今按るに、重次は忠重か子たりといへとも、家を繼す、重頼は孫たりといへとも、忠重, 葬る、妻は秋山氏の女、, 死す、年八十八、法名喜入、近江國矢橋村の大善寺に, 忠重母は某氏、父とゝもに沒落し、のち松永彈正忠久秀につかへ、其後筑前中納言秀秋, 〔吉利家系圖〕, 重次, 看圓, 重頼, 〓, 忠重, 今の呈譜、五年, 九月二十一日、, 左衞門, 與吉、五郎, 僧都, 衞門〓, 權大, 傳左, 近江國石山寺の住職、, しけより, 重頼, ヨリ家ヲ, 孫重頼家, 繼ガズ, 者タルニ, 子重次病, 法名, 御話衆一, ヲ繼グ, 履歴, 加ヘラル, 歿ス, 島津忠清, 元和六年雜載, 三三五
割注
- 今の呈譜、五年
- 九月二十一日、
- 左衞門
- 與吉、五郎
- 僧都
- 衞門〓
- 權大
- 傳左
- 近江國石山寺の住職、
- しけより
- 重頼
頭注
- ヨリ家ヲ
- 孫重頼家
- 繼ガズ
- 者タルニ
- 子重次病
- 法名
- 御話衆一
- ヲ繼グ
- 履歴
- 加ヘラル
- 歿ス
- 島津忠清
柱
- 元和六年雜載
ノンブル
- 三三五
注記 (42)
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