『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.670

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從五位下に敍し、諱字をゆるされ秀信と稱す、, うけたまはり、會津境津川口まて發向するのところ、景勝越後の郡民を, をうち散す、このとき、御書二通をたまふ、其後また、賊徒等堀監物直次か, かたらひて一揆をおこさしむるにより、秀勝阿加の大河をわたり、賊黨, に葬る、これ曾て秀勝か開基するところなり、後寺號を實光寺にあらた, 戸に注進す、十年二月、台徳院殿御上洛のとき供奉し、十五年九月二十八, 日、新發田にをいて卒す、年六十三、性翁淨見寶光寺と號す、城下の淨見寺, 七千石を宣勝にあたへ、五千石を二男善勝にわかちあたふ、父卒して後、, む、室は長井源七郎某か女, 住せる三條の城を圍むのよしを聞、後詰として、かの地に赴くのところ、, つかの地をゆつりうけむことをこふ、宣勝我父の封を襲うへは、つねに, 賊徒すてに遁れ去しかは、一揆の在家を燒拂ひ歸陣の後、このむねを江, 五年、上杉景勝御征, 善勝さきにうくるところの釆地は、宣勝にかへしをさめて、宣勝よりわ, 伐のとき、父とゝもに越後國にいたり一揆を征す、父秀勝曾て領知の内, 宣勝母は源七郎某か女、天正十年高濱に生る、慶長二年太閤の命により、, 慶長十五年九月二十八日, 時に十, 六歳, 淨見寺二, 葬ル, 宣勝, 六七〇

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注記 (23)

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