『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.923

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しを勝頼につく、勝頼こ〓を糺問し、武田逍遙軒をして諭さしめ〓いは, 勝商城に向〓大に呼はりていはく、織田右府、吾君とともに當城の後詰, か脛巾乃色の異な〓を見咎め、これを捕へ、貞能か返状を奪ひ取、そのよ, とし〓御發向あらむ〓、兩三日をすくへからす、其間は堅固に城を守り, すくに援兵乃事を諾し、當地に到着あり、不日に長篠にむかはなへし、我, 中のををつく、貞能、勝商をともなひ、御前に出て言上せしかは、織田右府, もまた今霄出陣すへきあひた、したかひ參なへしと仰出さる、勝商と海, こひて領掌す、然れともこの事速に信昌にしらせ申たしとて、貞能か返, 状を持、よもすから道をいそき、十六日城外にいたり、敵乃仕寄の者にま, ら次して、援兵の〓をうぎかはす、故にすみ〓かに城を避よといふへし, きれ、竹束を持、隙をうかゝひ〓城中に馳入むとす、馬場美濃守信房、勝商, と、勝商僞り〓諾す、こゝにをいて勇士十餘人をだたて城下に至らしむ、, 行ぬへし、城下にいたりてしたしき者を呼出し、信長所々の軍事に暇あ, く、汝我ことはにしたかはゝ死をまぬかるゝ乃みニあらす、厚く恩賞を, 相圖の狼烟をあく、こ〓よりたゝちに岡崎に馳參し、貞能にあみシて城, 元和元年三月十四日, 元和元年三月十四日, 九二三

  • 元和元年三月十四日

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  • 九二三

注記 (18)

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